ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

事実婚約

 私と交際相手は、来春から同居をはじめるにあたり、「結婚を前提とした真剣な交際」であることを周囲に説明する必要があった。どういうわけか、周囲が説明を必要とするらしかった。

 私たちは結婚(法律婚)に意義を見出さない。私は、同性カップルを埒外に退けてはばからない、リアリティとエレガンスのかけらもない制度に身を投げるのはまっぴらだと思っている。むろんこれは、制度の利用者ではなく、設計側に宛てたことばだ。

 彼のほうは、結婚をおもに被扶養者の権利を保障するための制度と捉えているから、両者とも子どもを望まず仕事をつづける場合には必須ではないという。(一定以上の所得がある成人のみによって構成される世帯にも権利および義務が生じることは認識しているが、それを責任や覚悟と言い換える、またその責任とやらを負う意識が結婚を機に芽生えるといった感覚は、彼にも私にも備わっていない。)

 そういうわけで、理由は異なるものの、結婚に精神的な価値を感じないという点において私たちの態度は一致している。それにもかかわらず、たんなる同居ではなく事実婚を予定しているのは、私の要望がきっかけだ。

 私は彼に「私が姿をくらましたとき、捕まったとき、死にかけたとき、死んだとき、迎えに来るのはあなたであってほしい」と言った。結婚が効力を発揮するのは、すこやかならざるときである。どちらか、あるいはふたりが意思表示の能力を失った際、対外的に関係を証明する手段として、現在の私たちは事実婚を選ぶ。

 婚姻届を提出しないと聞かされた母は、「あなたたちの人生なのだから、あなたたちが考えて話しあって決めたことがいちばんだ」と答えた。それは過不足のない祝辞で、私を生み育てた親の教えだった。

 母に報告したのと同じ内容を、実家の世帯主(以下、父と称する)に伝達せねばならないので、先月は気が重かった。父は「あなたも大人だから、自由に生きたらいいけれど」と口を開き、「事実婚は結婚じゃない」とつづけた。私は、結婚それ自体どうでもよろしいのだと即座に反論しない程度には、聞き分けのよい子どもだ。

 「結婚じゃない」と評されたことは看過できたが、さらに父は「結婚相手じゃないなら家族じゃない」「家族じゃない人間には会わない」というふうに論理を展開していった。私は「内縁の妻/夫」の民法における地位や、発生する権利および義務について説明し、「法律婚となにが違うのか」とたずねた。すぐさま「全然違う。籍を入れないなら他人だ」と返ってきた。「二号さんや不倫と同じじゃないか」とも言われた。

 なんだ、戸籍が別なら家族でなくなるというのなら、分籍しようか。私はとうにあなたを家族と呼んでいない。そう告げたかったけれど、私は辛抱強く「形は違えど結婚に対して真剣である」というポーズをとりつづけた。生まれた家との関係をややこしくしたとき、不利益を被るのは当人というよりパートナーかもしれないから。私と彼は、いまや運命共同体であり、互いの人質だ。

 ところで、「籍を入れる」とは、なにを意味するのか? 私は父の「入籍」と「婚姻」を混同する杜撰さにも呆れた。私の進路選択を妨げない他人たちのことばづかいに目くじらを立てることは避けるが、戸籍および婚姻制度を特別視し、あまつさえ制度から除外されたものたちの関係を否定するのなら、実体にふさわしい名称を使い分けるくらいの敬意を払ってしかるべきではないのか。

 母にも「会わないというのは誠意に欠ける」と説得され、根負けしたと思しき父は、交際相手の来訪を認めた。私は「家族になる人に会ってくれてありがとうございます」と念押しして食卓を離れ、二匹の猫を撫でまわして帰路につく体力を取り戻し、生まれた家を後にした。

 私も電話の向こうの彼も疲れきっていた。疲労と倦怠の原因は、事実婚を批判されたことではない。私は「心から結婚を望んでおり、生まれ持った名前で生きてゆきたいから事実婚を選ぶ」という設定を練り上げ、父の前でつとめて「結婚する」「夫婦になる」「家族になる」の三点を強調した。結婚、夫婦、家族、そのいずれも、ふたりの内面と軌跡を映し出すものではないのに。私にはこれらが財産を管理する単位に見える。

 情緒的な紐帯としての価値を見出さない契約に対して、私たちはこんなにも真剣であると訴えてみせると、私たちを生み育てた人々は誠意なるものを読み取って安堵するらしい。空疎な理念に跪いて拝むつがいを演じ、三文芝居は本心を打ち明ける姿勢より歓迎される。私たちは煩雑で迂遠な手続きに困憊している。

 とはいえ、これはあくまで一度きりの試験、一過性の症状だ。「籍を入れない」ことに起因する周囲の不安もまた、時間の経過とともに霧消するだろう。母は「あの人はあれでもあなたの幸せを願っている」とくりかえすが、たとえば、私を憎悪なり軽蔑なりしつつも節度ある距離を保つ人のほうが、まだ私の幸福を毀損しない。ご自身の人生に集中いただきたい。

 私は夫となる人とともに暮らす。戸籍上の家族とではない。私は夫となる人を愛している。この六年あまり、関係や地位に呼称をあてがう前から。私たちのあいだには、不可視の内的な事実がしずかに横たわっている。