退職したい理由の第三位くらいに、「社風に共鳴できない」というのが挙げられる。もっと上のほうには、生活が苦しいというのと、技術的な成長が望めないというのがある。さいわいなことに、薄給より耐えがたかった国籍差別の「冗談」は、このごろ耳に入ってこない。
その社風というのは、どのように形容するのがふさわしいか。従業員の地位に関して、向上心や知識欲が稀薄とでもいうべきか。経営層だけでなく、従業員の大半がそうだ。弊社には、抗議や追及をする文化がない。誠実に義務を果たすいっぽう、<権利は主張し行使してしかるべきものである>という認識がない。労働基準法の内容も把握しておらず、むろんある時点においてものごとを知らないことは罪でも恥でもないが、知らないまま調べようともしない。
従業員の勤務態度や業務を遂行する能力は申し分ない(こんなふうに私が評価を下すのもおこがましいと感じるほどに)。私は勤勉で善良な同僚に恵まれ働いている。それにもかかわらず、空虚な孤独に苛まれている。問題意識を共有することが、ほとんど叶わないから。
問題提起をしない人が怠惰であるとはかぎらない。弊社の場合は、きっと環境がそのように促したのだ。従業員には、それぞれに営む私生活があり、かつて抱いていた希望がある。忙しさと気後れに足を取られながらも、声を振り絞った経験がある。その訴えが徒労に終わる日々のくりかえしに疲れ、諦めに囚われてしまったのではないか。疑問をもたないことが、ここで働きつづける秘訣なのか?
ゆえに、だれを責める気も起こらない。確かなのは、私が現状に不満を感じており、また改善も見込めないということだけだ。「自分さえ得をすればそれでかまわない」と「自分さえ我慢すればそれで済む」とでは、動機も目的もはっきりと異なるのに、周囲に及ぼす影響はさほど変わらない。ふと気づいて悲しくなった。
私は、異なる立場にある人どうしの分断を煽ることなく、自身の立場と主張を明確に示したい。難しい課題に取り組むなら、周囲が参加したくなる手法を採用したい。どうしたらそれができるだろう。ことばを尽くした、手を尽くしたというには、まだ早いだろうか。小さな事務所の隅で頭をひねる。