ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

帰る場所

 妹に夏季休暇の予定をたずねられ、帰省という選択肢の存在を思い出す。私は今年も、生まれた家に顔を出さない。

 二匹の猫にはずっと会いたい。母のことも、別々に暮らしてからは友人のように思っている。それでも、実家を帰る場所と見たことはない。わが家と呼べるのは、私が借主および世帯主として賃貸借契約を結んだマンションの一室だけだ。

 両親からいっしんに注がれた愛情を疑ったことはいちどもない。私は慈しまれて育った。そうであるにもかかわらず、ひとつ屋根の下に暮らした日々とともに蘇るのは、はてなき疲労と倦怠だ。これは恩知らずのおのれに対して分泌される感情なのかもしれない。

 なぜ実家に足が向かないのか、みずからに問い、四半世紀あまりを遡る。おそらく私は、子どものうちに、家族と「話しあってよかった」という感触を獲得するのに失敗したのだ。だれも悪くない──むろん、私自身も。生まれ育った家庭では、私の用いるプロトコルが異質だったのだろう。そうとしかいいようがない。

 私は生まれつき、言われたことを言われたとおりにしか受け取れない。家の人は、なぜ怒っているのか、なにを悲しんでいるのか、ことばを用いて説明することができない(妹は説明を聞くまでもなく理解したようだが)。私たちはわかりあおうとして口を開いたが、呆れあるいは諦めゆえか、相手は半ばで口を閉ざし、私の記憶には「またこの人を怒らせ悲しませ、黙り込ませた」「私には人の心が欠けているらしい」という印象ばかりが残った。

 私の「それはなぜかわからない」「いやだった、やめてほしい」といった訴えのほとんどは、「言わないほうがよかった」という後悔をもたらした。なけなしの勇気を振り絞ってことばを発するたび、無力と自責の念に囚われるのが常だった。家の人がそのような事態を望んでいないことは知っているし、気づきもしないことを願ってもいる。

 私の過敏で神経質な性質が楽しい食卓に水を差しているのだ、本心を打ち明ければ互いに傷つくだけだ、冷淡で狭量で思いやりの欠けた私がだれかと働いたり暮らしたりしようと試みることは間違っているのだ──生まれた家に住むあいだ、私はこんなふうに考えつづけた。だれも私を苦しめようとはしないのに、どこか息苦しく、苦しがるおのれをもてあました。

 ひとり暮らしをはじめてしばらく経ってからは、「私の経験した苦痛は、私の欠陥などではなく、私たちの不一致に起因するのだ」と認識を改めることができた。ただし、「私は過敏で神経質で冷淡で狭量で思いやりに欠ける」というセルフイメージには微細なひび割れひとつ起こらず、ゆえに他人と生活することへの強烈な抵抗は拭いきれない。最愛の宇宙人とのふたり暮らしに憧れながら、それ以上におそれている。

 しかし、なにをおそれる必要があろう? ふたたび同じ人と同じ家に暮らそうとしているわけではないというのに。私の宿題は、実家に「帰る」ことや、セルフイメージの刷り直しではない。過去と未来とを切断することだ。これまでに成功しなかった試みには、これからも挫折が待ち受けていると決めつけないことだ。

 私と最愛の宇宙人とは、プロトコルの一致を確かめ、ことばを交わし、通じあわせてきた。かつて感じた怒りや悲しみを彼にひらいて見せるとき、私は私自身の感覚を肯定することができた。彼と囲む食卓で、私はあたたかくやわらかだった。

 私たちは思いのままにしゃべる。思いのままにしゃべるのが、おしゃべりというものなのかもしれない。私がことばを尽くしたところで、彼を追いつめ、黙り込ませ、傷つけることはなかった。信じがたいことに、私は人と話しあうことができるらしかった。私たちのあいだにあることばは、不一致の溝を深める異物ではなく、尽きることのない関心と思慕のあらわれである。

 新幹線に乗ってきた彼は、私の家に着くなり「ただいま」と言う。それを聞くと心安い。この人は私を帰る場所と見ているのだ。かたくなで殻のかたい私は、他人の帰る場所たりうるらしかった。私はこの人と生活がしてみたいのだと思う。