ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

ツイッター休暇

 ツイッター休暇を取得した。そのような制度は実在しないが、いずれ利用を再開するかもしれないという意図をこめて勝手に「休暇」と名づけている。ついでに過去の投稿を削除した。つねづね書いているとおり、私はつぶやきを保存の対象と見なしていない。それに、依存を断つには、古巣を更地にしてやるくらいの対処は必要と判断した。

 アカウントを開設した当初の目的は、当ブログをより多くの人に読んでもらうことだった。しかし、狙いどおりに読者が増えることはなく、タイムラインは友人の消息を確かめるか、社会的なトピックとそれをとりまく意見を収集するための場所となっていた。

 そこで私は、浮かれたり怒ったり照れたり蔑んだりを、小刻みにくりかえす。それが日課であるかのように。見たくないものを見ないのは、書くべきことを書かないのは、怠慢であると自身に言い聞かせながら。楽しい知らせも、喜ばしい便りも舞い込んできたけれど、どういうわけか、あたたかさが胸を満たすのはほんの一瞬だ。激流を遡行するかのごとくタイムラインに目を走らせ、暗澹たる思いに沈まない日のほうがめずらしい。

 それでもツイッターを使いつづけたのは、世界を覗き見る窓を閉ざすことが、あまりにおそろしいから。不合理を告発する声が届かないよう耳を塞いだところで、人々の苦難が取り除かれるはずでもないことがよくわかっているから。情報の摂取をやめてしまえば、心身はますます刺戟に耐えられなくなり、外部への関心を失い、独善に陥る。

 先日、とうとう休暇を取得することに決めた。よりおそろしい事態が目前に迫っていたためだ。私は長いこと、職務を全うするときの熱心さをもってタイムラインを追跡していた。多くの余暇を捧げた。濁流にのまれかけていた。じわじわと人格が変質するようだった。性急で衝動的、集中力を欠き、浅慮に起因する饒舌と後悔ゆえの沈黙を反復し、感情の起伏が瞬発的、しかしその感情は真に自身の内部からわきおこったものではなく、根拠も強度もない、とはいえ、たしかにいつも諦め、くたびれており、悲しい。

 世界を覗き見る窓を他にもひらいておけば、こうではなかったのだろう。たとえば、生身の人間を前にして、気軽にことばを交わせたなら。ツイッターを悪しざまに言う気はない。私に道具を使いこなすだけの力がないから、主客転倒して使役されるに至っただけである。しばらくは、思いつくまま発言するかわりに腰を据えてものを書き、多数の賛同を集めた発言を漫然と眺めるかわりに書籍を読みとくつもりだ。

 私に深い呼吸を許す世界に、身を投げたい──友人に会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。友人のいまを見届けるためにアカウントは保存してある。