ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

孤独がこわい

 母の誕生日を祝いに、妹と実家に帰った。発案者はもちろん妹だ。母はたいへん喜んだ。母が嬉しがるので私も嬉しかった。猫はあいかわらず愛くるしく、二匹の仲は日増しに深まっていくようだった。一個の存在がゆるぎなくかわいいうえに、かわいいものとかわいいものが睦まじく身を寄せあっているのだから、このうえなくかわいい。

 妹に会い、母を喜ばせ、猫を飽かず眺める。充実した二日間の滞在を終え、私はやや疲れていた。当然ながら、音や気配の止むことがないし、自宅と勝手が違う。歓迎を受けたのにもかかわらず、ひとり疲れを感じてしまった事実にも疲れていた。私の感じている種類の疲労と倦怠は、妹には身に覚えのないものだろう。リビングから漏れ聞こえる夫婦の会話に、むしろ安心したようすだった。

 私と妹はつくづく似ていない。社交的な妹は、毎週のように友人と遊ぶ。かつての同級生やアルバイト先の同僚といまだに連絡を取りあっていると聞き、私は、妹が私に似なくてよかったとしんから安堵した。私と違って、恥ずかしさで息がつまることや、他人に対して憤りや軽蔑を覚えることは稀なのだろう。

 明るく身軽な妹に、憧れや引け目を感じた経験はとくにない。鼻と顎の線が鋭く、背の高いところは、ちょっとうらやましいけれど。人格については、私は妹ではないのだから、としか思われない。どちらかといえば、感謝している。私みたいなのが二匹のきょうだいじゃなくてよかった、と。私がさっさとかつての子ども部屋に引っ込んでも、妹がかわりに食卓の雰囲気を和ませ、談笑し、軽口すら叩いてくれる。妹は両親が好きだから、それをしたくてしている。それなのに、ときどき、妹に親孝行を代行させているかのような気分に陥る。こんな思い込みは、全員に対して無礼だ。

 顔を出すたび、実家を〈帰る場所〉として認められないおのれを見出し、その事実に、はてなき疲労と倦怠を覚える。妹が帰れる場所に、私は帰れない。私の神経質で過敏な性質が食卓に水を差すことのないよう、本心は口にしないこと──そうみずからに言い聞かせるうち、私にはこの人たちと共有したい話題というものがなくなった。

 私は怠惰で狭量だ。そうあることしかできない、それでかまわないと安んじていたが、友人に会う機会のめっきり減ったいま、不安の種を腹に抱えている。

 実家の世帯主が極右の刊行する雑誌を購読するようになった原因として、ひとつには、友人や趣味と呼べるものとのかかわりが極端に稀薄だったことが挙げられる。そう私は踏んでいる。無気力と孤独は、人間から判断力を奪い、独善に駆り立てる。

 私は父に似るのがこわい。ヘイトスピーチにも、陰謀論にも、現時点ではまだ運よく耳を貸していないだけだ。いつ、どこでこの身を絡めとられ、「正論」のつもりで他者の尊厳を踏みにじってしまうか、行住坐臥おそれている。正しいと信じることも、考え書きあらわすことも、なにもないところからはじまるのではなく、見聞きするすべてを血肉として取りこみまた吐きだす行為である。正しくあろうと望んでも、邪教への信仰にもとづいて邁進すれば、独善に陥りかねない──レイシストとなった父のごとく。

 私には友人が少ない。私のほうからはっきり声をかけて関係のはじまった人となると、ひとりも思いつかない。結果として、私は私を好いてくれる人を友人と呼んでいる。交友関係のほとんどすべてを受動態で記述することができる。怠惰で狭量で、傲慢きわまりない私だから、「気の合わない人とは無理につきあわない」を手ぬかりなく実践したら、どこかでほんとうのひとりきりになる。相手に非はなくても、たまたま社会性が底をついた一日などに、連絡先を抹消するかもしれない。

 私は私がこわい。私は私をもてあます。きらいなものが多いわりに、きらうことをみずからに許すことも、きらいでなくなることもできない私を。自身の判断を肯定しきれないのに、判断の材料とすべき他人たちを切り捨てる私を。

 きのう、私は孤独をおそれているのだと、はじめて了解した。正しくは、孤独のもたらす独善を。