ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

ひとり暮らしの次に

 新年度がはじまる。ってことは、妹が会社員をしはじめてまるまる一年経ったんだ。妹はすごい。早寝早起きで、帰宅後さっと入浴できて、あと洗濯が好きらしい。しかも、会社をやめたことがない。一年だよ。一年は長いよ。自身に適した就職先をたったいちどの就職活動で引き当てるなんて、だれにでもできることじゃない。妹はすごい。仕事はおもしろいか、なにをやっているかは、聞いたことがないけれど、元気そうなのでよかったです。

 私は要領が悪くて、二年間に二回無職をして、三回目の就職活動で自由時間(一社目にはなかった)と人権(二社目にはなかった)をとりもどした。私もすごい。へたくそなのにあきらめないし、自身に必要であると信じるものを選びとれる。したくないことはしない、逃げ足の早さで生きのびた。

 あしたからは、ひとり暮らしをはじめる。ひとり暮らしって、名前の響きだけでも、よすぎるな。家のなかのこともお金のことも、だれにも助けてもらえず、ゆえに、だれにも負い目を感じない。疲れていたら笑わなくてもかまわないし、服を着なくてもかまわない。趣味じゃない音楽やら極右の暴言やらはもちろんのこと、ドアを閉めたり掃除機をかけたりする音が予期せず聞こえることもない。

 家にだれもいないのっていいな。家の人は、そんなことを言おうものなら「それって私たちがきらいってこと?」と泣きだしかねないほうで、だからいっしょにはいられない。きらいじゃないと答えるのは簡単だし、事実きらいじゃないが、いま、好ききらいの話をしていないよ。それに〈ひとりが好き〉は〈ひとりじゃないのは好きじゃない〉を必ずしも意味しないのだが、さびしがりちゃんには不可解らしい。

 そんな家の人もちょっとずつ変わってきて、私の取り扱いを心得てきたようにも感じる。わざとすっごくイヤそうにしてるんじゃなくて、苦手な音やにおいでほんとうに体調を崩すんだ、とか。不機嫌で顔を出さないんじゃなくて、ひとりで息を整えてからじゃないとただいまって言えないんだ、とか。

 やっと別々の人間だってわかられた感触がある。私が学生のころ、家の人は「あなたの場合はそうなんだね」って考えかたを備えていなかったような記憶があって(そうであったことは、そうでなくなったあとに気づいた)、ちかごろになって、個人と個人に分離しはじめたんじゃないかな。

 両親とは反りが合わない。表面上はまずくなくやっているが、それ以上のなにものでもない。モラハラのレイシストになり果てた世帯主のことは、もう父と呼びたくない。母のほうは、ときおりほんのりにじませるヘテロセクシャリズムにルッキズムにエイジズム(昭和生まれの女性たる母は抑圧の被害者でもあり、規範を内面化することで身を守っていたのかもしれない)がつらい。まあ、ありふれた、ふつうのいい人だ。

 両親には感謝している。教育を受けるのに専念する機会をくれたこと。結婚や出産を促す発言をしないこと。学業成績に関心を示さず、進路に関して「好きにしな」以外の助言をよこさなかったこと。姉妹間や同級生との比較をしないこと。そうやって私のしたいようにさせて、無根拠の自尊感情(自己愛に根拠はない、いらない)を育て上げてくれたこと。

 恩があることと、いっしょにいられないこととはぜんぜん矛盾しないのだ。相手がだれであっても、同居という形態それ自体が私にはなじまないし。離れて暮らしはじめて、母に会うのが楽しみになったら楽しい。きっと、なる。

 会社の話はどこへ行ったんだ。戻ろう。職場の人々も、ふつうのいい人だ。大人どうし、プライベートのつきあいはなくて、距離が保たれているぶん家族より楽ちんだ。社長がセミロングヘアの男性で、子どもを抱っこして連れてくるところとか、それに対してだれもなにも言わないところとか、最高だ(そこらじゅうでありふれた光景になってほしい)。とはいえ、当然、価値観にそれぞれ差異はあるよね。

 たまに大学が恋しい。社外に出す文章は文法規則をふまえて書こうとか、性別はふたつじゃないとか、正しさとはなにか決められないが少なくともその場においてなにが正しいか悩んで正しくあろうとしたいとか、ファック・レイシズムとか、ポリティクスの話題を避けようという態度はきわめてポリティカルだと自覚しようとか、政治への言及よりタブーなのは容姿の寸評や血液型性格診断だろうがよとか、頭よくなりて〜〜とか、私がだいじだとおもうものを周囲も同じくだいじにしている環境は、一歩外に出てみればこんなにも得がたいものだったんだ。

 私がだいじにしているものを意識したこともない人は、反対に、私が切り捨てたものをだいじにしている(「絆」という観念とか? 「理想の家庭」像とか?)にちがいないので、私が他人に疲労と倦怠を覚える場合があるのと同様に、他人たちもまた私に傷つけられているのだろう。いっしょにはいられないってそういうことだ。

 死ぬまでに進学しよう。やっぱり。そこでならもっとしあわせになるなんて期待しているわけではないが、ただ、大学院を知らずに死にたくない。いつもみたいに、やってみて、だめだったらやめる。

 どんどんぜいたくになってゆく。おもしろい仕事を見つけた。すごい。ひとり暮らしをはじめる。すごい。そしたら、次にやりたいことってなんだ? が、わきおこってきた。いま、私はよく生きている。ほんとうにすごい。やりたいことは、勉強。やる。生きる。実家の猫より長生きしなきゃいけないし。