カフェの店員の頭部から赤い角が生えている。猫らしきものの耳や、レースの装飾もある。それで、きょうはハロウィンであったと知る。関心をもたないものにとっては、すれ違う他人たちに教わるまで思い出さないほどの些事である。行事に不参加の自由が保障されているのは、たいへんけっこうなことだ。
不参加の自由のありがたみがわかるのは、それをはじめから手にしていたわけではないからだ。幼児期の私は、ハロウィンをすこぶる苦々しく思っていた。
生まれついての内向型で、人混みも騒音も大の苦手。社交性もいちじるしく欠落している。そんな子どもに、群れをなして大人に菓子をねだるよう言いつけるなど狂気の沙汰であると、家の人は思いいたらなかったらしい。四、五歳の一〇月三一日もしくはその近辺の休日、私と妹は、ごく簡易的な仮装用の衣装──テーマパークの土産店にでも並んでいそうなカチューシャだのマントだの──を差し出され、さらに「おじいちゃんおばあちゃんのところ、行ってきな」と聞かされた。
妹は断る理由がないといったようすで、子どもとして百点の、言いつけのとおりのふるまいを披露していたような気がする(ただし、このときの私は私自身のことばかりが頭を占めていたから、このあたりの記憶は不正確だ)。
私はそうしなかった。いやだ。こわい。なぜそんなことをしなければならないのか、わからない。あなたがたは同じようにしないのか。あなたがたがそうしたらよいのではないか。といったことを考えていたが、当時は従属と畏怖の対象でもあった親というものにそんな口を利けるはずはない。黙ってもじもじしていた。好むと好まざるとにかかわらず<かわいげ>を言外に要請される年代として、おこないうる最大の意思表示であった。
家の人たちは無理強いなどしないが、幼い長子の予期せぬ抵抗に接して、当惑とも不服ともつかない感情を声色ににじませるのを私は聞き逃さなかった。あるいは、罪悪感がそのような幻聴を引き起こしたにすぎないのかもしれない。
いずれにせよ、なぜせねばならないのかわからず、また当人たちがすることはない行為──仮装をし菓子をねだるという真似──を嬉々として勧められ、そのうえ任務を完遂せず保護者を失望させ(たと思いなし)、ほかの子どもたちが同種の試験をやすやすと通過してゆく(「トリック・オア・トリート」は、駅前などに出てみればありふれた光景だっものだから、私はますます混乱した)のを目撃したことは、わがハロウィンの記憶に影を落とすにはじゅうぶん悲惨な事件であったといえよう。