ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

寛解の予感

 休職以来、はじめてだろうか。じつに四ヶ月ぶりということになる。始業時間(もはや私の生活には意味をなさない、仮想の規定だ)より早くに自然と目を覚まし、たしかな空腹を感じて朝食をとり、正午までにまとまった量の課題をこなす。けさは、それらすべてがそろった。現在の私はおおむね健康体といえよう──この思いつきを得たのは、今年度ではきょうが最初だ。

 会社をぬけだし、じゅうぶんな睡眠時間と、部分的な孤独をとりもどしてから、吐き気や偏頭痛はすぐに去ってくれた。しかし、「ぼんやりと、ひたすらむなしく、めんどうくさい」という感覚は、つい先日までつきまとい、ひどいときは、それを振り払うための勉強までもがおっくうだった。作文すらままならなくなると、「いかにして生きのびるか」と題し、ルーズリーフをきれぎれに汚した。そこには「なにがしたい? 書いたものを売る。猫を飼う。フィンランドに行く」とある。

 私の場合、適応障害の矯正は可能でも、いまここにあって私であるかぎり根治はありえないと思う。この社会にて用意された標準の鋳型におさまろうとすると、からだじゅうがきしみだす。生まれつきの事情だ。「それでも、ゆくあてはある」という言外の知らせが、友人や読者から届く。それで寛解がおとずれたのかもしれない。