「意見を述べるのに疲れたら、創作の畑においで」と最愛の宇宙人は私の身を案じた。このころ私は、まれにインターネット上で赤の他人から石を投げつけられるようになっていた。チップチューン畑のみなさんは、おおざっぱにいって、わが子がかわいくてしかたないといったようすで世話に明け暮れており、ファーストアルバムの売上を地道に伸ばしている彼はその典型だ。まぶしい。しかも私はとうに疲れている。しかし、書くことをやめられないのは、彼を愛するのをやめられないのとよく似ている(愛することに苦しみはともなわない、という点は大きく異なるが)。私は懲りずにつぶてを浴び、彼には今後とも、背をさすり深くうなずいてもらう。
昨日は「『フェミニスト』や『ヴィーガン』が揶揄として使われうる現状はあやうい」という話もした。これらを名乗るなかに、人格否定や脅迫まがいの発言をするものもあることは事実だが、その責任を属性に負わせることは誤りだ。たとえばスーパーフリー事件を持ち出して「早大生は強姦魔だ」などと断ずる行為は侮辱にあたるはずであるが、それにひとしい攻撃を、フェミニストやヴィーガンが受けているのではないか。
私はだれの敵でも味方でもない。明晰でないもののみかた、ことばづかいを、ひどくきらっているだけだ。