つぎに会うときは無職だよ、とへらへらして告げた私に、恋人は「そっか。これからいっしょに就活だね」とだけ答えた。つねに過不足なく、少なくてゆたかなことばをもって、私を抱き止める人である。むろん、劣悪な労働環境や、重篤な疾病を理由とする失業であれば、彼は別の態度を取ったに違いない。しかし私は私の意思に従い、ひとつの手続きを済ませたにすぎないのだ。彼は最愛の他人だとあらためて思った。私でないもののなかでもっとも自然に、私の喜ぶものを選びとる。
「大変でしょ、すごくマイペースで、できることとできないことがはっきりしていて」と、彼のご両親に笑いかけられたことがある。私もおんなじです、と口から滑り出て、もっと笑われた。退職の報告をした日曜日、「あのときはああ言ったけれど、私はマイペースではないかな」と彼に確かめたら、そのときも笑われた。逃れようもなく「おんなじ」ということらしい。
そんなぐあいに、意見の一致をみる機会の多い日だった。人の真摯さを踏みにじるたぐいの「ドッキリ」は好まない。論文を手短にまとめた番組など観ずに論文を読むべきだが、その試みは困難をきわめる。ぽつりぽつりとしたしゃべりかたに安堵する──これらのなかに、目新しいことがらはなく、そのことが愉快でもあった。