一定の場所に一定の時間、拘束されることを私がひどくきらっているのは、思えばいまにはじまった話ではない。アルバイト、通学電車、講義のあいだの空き時間、あらゆる会合の予告なき延長、式と名のつくものすべて、いずれも耐えがたかった。アルバイトは、業務を早く終えたら、給与が減らされるのを知りながら即座に帰った。一対一授業も品出しも楽しかったが、それはたいした問題ではない。ただそこにいろと定められることそのものが、重い罰かなにかのように映るのだ。
義務教育課程とその延長たる高校生活についても、終わりを待ち望んだ記憶がある。他人たちとの関係にも勉強にも、とりたてて悩んだことはなかったが、ひたすら校舎に留まっているのが困難だった。刑期の短さゆえに、脱走を考えずにすんだのはさいわいだ。
就職活動を終えてすぐ書いた記事には「したいようにすることと、会社勤めとは矛盾しない」とあった。これは半分くらい適切といってよく、たしかに、会社勤めをしながらしたいことをする、たとえばものを書くのは可能である。したいことをする妨げにならない進路を選ぶことができた当時の私は、しかし、したくないことをしたくないという原始的欲求を等閑視して、しくじった。これを次なる進路選択に活用できれば上出来だ。