私の本名は実用的である。画数のきわめて少ないことには、なんらかの試験を受けるたびに感激するし、少々風変わりで弁別性に富むが、読みかたに困るほどではない。それから、なにより重要なことだが、かなりかわいい。同音反復のところが言いにくいらしく、ゆっくりと呼んでもらえる。怒りを込めながら発するには困難の伴う音の排列だ。よい名だと思う。
名づけの暴力性にまつわる評論を読んだ記憶がうっすらとある。私から私の顔と声をはぎとり、「LGBT」や「早大卒」のなかに押しこめる行為が、たとえばそれにあたる。私に価値や意味を施すのが他人たちであってはつまらないから、私はみずから宇宙人を名乗る。
最愛の宇宙人を呼ぶときは、ファーストネームに「くん」を付す。慇懃でも粗野でもなくてよろしかろう、とこうしてみたところ、はじめのうちはこちらが驚くほど喜ばれた。このいたって凡庸な呼称が、本人にとっては新鮮であったらしい。それもそのはずで、周囲の人々が彼をどう呼ぶか観察したうえで、私はだれも手をつけなかったこの方法をとったのだ。好むと好まざるとにかかわらず、四音節が彼のなかで私ひとりを喚起するように。そんな私のむなしい呪術的努力を、彼は当記事を読んだのちに知るだろう。