給与明細をダウンロードしてひらくと、返ってくるはずのない年金のぶん、ごっそり引かれていた。〈法定控除〉の欄に目をやったまま、「会社をやめたらね、年金払わないんだ」と隣席の同僚に言った。「もうやめるときのこと考えてるの? 早すぎるよ」と笑われたところで我に返って、もちろん仮定の話、と私も笑った。まったくもって笑いごとではないが、制度に向けるべき怒りを、彼女に表明する必要もない。
生まれてこのかた、本質的な意味においてお金に困ったことがない。私の学費をすべて払ったのは父だ。ときおり、ぬくぬく育ったあまちゃんの臭気を放っている自身に気づくけれど、臭いは隠しようがない。私は、しばしば「達観している」「おっとりしている」と評される(これは多くの場合、賛辞というより、高度に洗練された婉曲表現に聞こえる)。他人たちのとりむすぶ関係や生活にちっとも興味がない。そのわけは、ひとつには、お金のことを考えずに済んでいるからだ。暮らしというものをすっかり忘れて暮らしたがる私の心理は、マジョリティという特権階級に属する日本人が「日本に差別はない」と信じている状況を、連想させる。
「社会人」と呼ばれる私は、きのうはじめて、お金のためにひどく怒った。自身の暮らしのことを思った。