新春を、例年通り、けだるくもてあましています。こよなく愛する時季のあとにやってくるので、どうにも歓迎しかねるのです。年の瀬を待ち焦がれる嗜好の持ち主は、まっさらなカレンダーの一枚目に、気の遠くなるような失望を見出します。いま、すでに、最後の一枚をむき出しにする次の冬のことを思っているくらいです。
年明け、と聞いたとき、脳裏をかすめる思いつきは、どういうわけか夜明けの姿をしています。夜明けが連れてくるのは、息をのむような朝焼けの映像だという人もあるでしょうけれど、私自身の慣れ親しんだものといえば、クレイジーケンバンドが歌ったみたいな、しらけた、黄ばんだ、取り残されたものの心持ちです。私は年の瀬とともに、夜更けをも好みます。明暗がひっきりなしに交替する、その間際にときめくようです。したがって、明け方の光は、私に希望をもたらしはしません。あるのは未練と目の奥の痛みです。
新春の街は、あちらでは背すじを正し、そちらではお祭り騒ぎを企て、といったぐあいに混沌としており、一日のうちに、からっぽの電車と、ごったがえすデパートとを見物することができます。そのなかで私は、朝の光をいっしんに浴びながら、破れてしまった夜を振り向いて、ふたたび夜へと深く暮れゆく季節を待ちます。