ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

テレパシー

 私は言われたことしか受けとれない病気を患っており、子どものころ、「そうやっていちいち言われないとわからないの?」とかいった叱責に、いつも「わかりません」と答えるほかありませんでした。図書館の寄贈コーナーから『超能力入門』をもらってきて、テレパシーの訓練をした(念力、透視、ついでにひととおり試しました)のはまったくの徒労だったようです。

 「だいじょうぶ?」とある、だいじょうぶなので「だいじょうぶ」と言う、「そっかあ。よかった」と話は打ち切られる、とりとめなくつぎの波が打ち寄せる、ふたりしてそれに乗る、こんなやりとりを私は好みます。「強がるなよ」とでも切り返されようものなら、「ことばがわからないのか」と非常な混乱をきたすに違いありません。

 私の愛する宇宙人は私と同程度の察しのよさを誇っており、したがってよいとはいいがたいのかもしれず、そのうえ率直です。「忙しい」「疲れている」は、私たちの場合、行間から拾い出されるものではありません。ことばとして軽々としかしはっきりとあらわれ、それはひしと受けとられ、すると、ふしぎなことに、状況が明るくなったようなこころもちがしてきます。