これより先、図式を単純化するため、性器の形状のみによって人間を男性と女性とに二分する横暴な書きかたを用いること、ここにあらかじめ記しておきます。
私はかつて男性差別に加担しました。高校の体育の授業では、男子にだけ更衣室が用意されていませんでした。クラスメイトが着替えるなか、平気で教室に立ち入ったことを、いまになって恥じています。ほとんどの友達はべつに気にしないと言うでしょう。しかしそれは、そうさせる構造のなかで育てられた結果にすぎないのです。守るべきという名目で女性ががんじがらめにされるいっぽう、立てるべきという名目で男性はないがしろにされています。裸の脚のあいだを思えば判然とすることです。「ちんこ」は汚いものとして笑われ、「まんこ」はいけないものとしてひた隠しに隠されています。
「男は泣くな」が男を縛りつけ鈍感にし、女を痛めつけ、それが男を苦しめるという連鎖を断ち切りましょう。なすべきことは、「自意識過剰だ」と女性を押さえつけることではなく、同意なくからだを見たりさわったりする暴力から、男性をも守りぬくことです。だれもが、みずからのからだをいたわり、いやなものはいやだと告げることです。みずからと同じ、かけがえのないからだとこころを持つものとして他者を認めることです。