ほんとうは、こまかなうぶ毛の生えた桃をパックに詰めて並べる開店前の時間がいかにしあわせか、というなんにもならない話をしたいのですが、これからここに書くことは、杉田水脈氏による寄稿の全文に目を通し終えたいま、冷めないうちに供するとしましょう。
私は、みずから「LGBT」を名乗りはしません。なぜなら、くりかえし述べてきたように、所属するところに収斂されることを拒みたいからです。バイセクシャルを自称するのも、それ以上に手っ取り早い説明が思いつかないからしかたなくしていることであって、その区分によって自身を規定する意図はありません。私を異性愛者と見なした人が、距離感も前提もめちゃくちゃの個人的質問を投げつけたり、「ホモいじり」を始めたりしそうになると、女も好きな女はあなたの隣にもいるよ、と言わずにおけなくなって言うだけです。
私は自身のありかたのたった一面にすぎない性指向というものに、特別性だの個性だのをいっさい見出しません。私バイなんだ、とつぶやいて、「ふうん」とだけ返ってきた日は、胸が晴れるような気がしましたから、だれかから性指向を教わったさいには、私もそんなふうに答えます。これから抱きあうわけでもない相手がなにを思おうと、どうだってかまわないのです。