ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

対症療法

 たとえば持久走の授業から、好まざる飲み会から、反故の堆積した部屋から、逃れたいのならそれは物理的に可能でありますが、どこへゆこうと私は私についてきます。どうしようもなく自身をもてあますときの、適切な処方とはなんでしょう。

 人ぎらい、ある種の潔癖、欲深さ、気まぐれの治るきざしもなく思春期はとうに過ぎました。あのころはだれでもがたがたになるから、足の生えたおたまじゃくしだったのだから、と片づけてほっとしたのもつかのま、周囲のあたりまえにできるであろうことが自分にはできないという感覚は、むしろこの歳を迎えて強くなっています。立ち止まらないこと、生傷を笑い飛ばすこと、全身鏡と対峙したときに、死ぬまでこのからだでいるのかと思わないこと、これらによくつまずきます。

 理不尽なきびしさや根っこのわからないさびしさに頭を占められたら、ひとりになるに限ります。私からはみ出した私にも御しがたいものを、大事な人に差し向けてはいないと思って安心するためです。毛布にくるまったり、凍える歩道橋で耳をすましたりなどして、霧消するのを待ちます。おとといはチョコボールの入ったホットチョコレートがすばやく効いてくれました。