ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

優しい人

 「優しい」と「冷たい」とを同量ずつ浴びて育ったためか、「優しいね」を受け取ってはもてあます癖が長いこと抜けませんでした。ひとことで人格が決定づけられるとか、みんなには見えていないほんとうの自分があるとかいった思い込みがとけたのは、おそらく思春期を抜け出したのと同じころです。いまでは、私の本質がいかなるものかはさておき、「優しい」と言われるふるまいができたことを、それなりに喜ぶようになりました。

 いじけやすさ、急ぐことや大きな声がきらいであること、ことばへの過剰な感じやすさ、毒を盛るときはうまく忍ばせようと努める趣向、過去のおこないの大部分を恥じていること、などから、私の優しさと呼ばれるなにかは成っています。なかみが辛辣かつ粗野であることを自覚しているから、それをしまっておくこともできる、というわけです。ぶっそうなことを口にしたければ端正にせよというのが、私のよそゆきの場合の流儀です。

 私のなかに「優しい」ところを見出す人のまなざしにこそ、私はこまやかな優しさを感じます。うつくしいものを愛でるこころはうつくしい、といわれるみたいに。つぎに「優しいね」をくれた人には、「優しいと言うあなたが優しいのだ」とお返しします。