2018-01-01から1年間の記事一覧
何度でもここに書きつけましょう。人は決してわかりあいません。とりとめのないやりとりに挿入される「わかる」という相槌は、むろん私にとっても快いもので、励ましにも慰めにもなってくれますが、それはあくまで断片的かつ偶発的な共感にとどまるというこ…
「ごくろうさまでした」と、製本屋の店員さんにほほえみかけられ、深々と頭を下げてから来た道を戻るとき、私は品のよい紺色のハードカバーを思わず抱きしめていました。喉をつまらせて泣くことはできなくもないような気がするほどの、感傷をもよおしたので…
いわれなき指図と干渉、およびそれらに「心配だから」「好きだから」を着せかける汗ばんだ手を、私はひどくきらっています。ようは「ふつうのいい人」がだめだというわけです。「ふつうのいい人」は他人の「あたりまえのしあわせ」を願ったり祝ったりします…
私は言われたことしか受けとれない病気を患っており、子どものころ、「そうやっていちいち言われないとわからないの?」とかいった叱責に、いつも「わかりません」と答えるほかありませんでした。図書館の寄贈コーナーから『超能力入門』をもらってきて、テ…
「多様性」の一語を定義することを、私は過去の記事にて注意深く避けておいたのですが、いよいよ、ここではっきりさせることにしましょう。多様性とは、さまざまであること、これにつきます。こんにちの「多様性ブーム」に引きずりだされたこのことばは、不…
双方の合意にもとづく性交が招いた望まない妊娠の責任は男性にある、とする態度を私は了解しかねます。なお、当記事のねらいは、他人たちの織りなす個別の事象に立ち入ることでも、「どちらも悪い」と騒ぎたてることでもありません。ただ、責任の免除、言い…
バイセクシャルを公言し、不愉快な冗談には答えず、というふうに、矯正と順応のための努力をなげうってから、私は目に見えて身軽に上天気になり、「憧れる」といういたずらな挨拶を述べる女の子たちさえあらわれました。きらわれまいとつとめなくなった私は…
文豪はことごとく病んでいたとか、画家は奇人ぞろいだとか、あるいはもっと卑近なところでは、文学部は変人のゆくところだとか、まことしやかにささやかれる風説にうなずきはしませんが、その発生のメカニズムを解明することは可能だと思っています。ようは…
取り入れないほうが発話全体がかえって端正にととのうような枕詞が現代語には散見され、たとえば「これは偏見にすぎないのだけれど」「これは偏見などではなくて」からはじまることばを私はほとんど聞いていません。そもそも人の言うことのすべては偏見であ…
いちどだけ、必修科目の先生から「あなたはこのクラスでいちばんだ」という旨のメールをいただいたことがあるのですが、私はその科目が好きではありませんでした。巧妙とは言いがたいプロパガンダ以外のなにものでもなかったからです。ふまじめな私は、前方…
いちばん若くてうつくしいときをくれたのだから、学生のころからつきあって結婚した妻のことを責任もって愛しぬくつもりだ、というような発言が美談として取り上げられるのを観測して、やはり私に地球人の謳う愛はなじまないのだとぼんやり思いました。「う…
昨日は女装をして、つまりスカートを穿いて人に会いました。その人の「女装も似合うね」は、私を落ち着かせ、いくぶん得意にしました。私にとって女装とは「どこかむずむずする、ふだんはしないかっこう」です。 私はまぎれもなく女性のからだの持ち主であり…
塾講師のアルバイトをしていると、生徒からも友人からも、「学校の先生になりたくはないの?」とたずねられます。ここで授業をするのは楽しいが、と言い添えつつ、質問には「なりたくはない」と答えます。 そこかしこに人があふれかえっている公立の学校を出…
そらで言えそうなくらい「パルタイ」を読んだというのに、本作を取り上げるつもりの卒業論文ははかどらず、おまけに、倉橋由美子を愛しているのか憎んでいるのか、ますますわからなくなります。倉橋のことばに私は断片的に強く共鳴しますが、そこにはむつみ…
かつて殴ってまで高くしたかった鼻筋や、みにくく見えてしかたなかった腰まわりの肉を、ようやくみずから気に入りはじめた私は、きれいな人にきれいだと言うことへのためらいをとかす、さなかにあります。このこころみは難航をきわめています。抱きしめたい…
内定式を終えると微熱が出ていました。サロメを演じる土屋太鳳を観にゆくのはあきらめて、映画のチケット代は、ブイヤベースの素と早生みかんになりました。アルバイトから帰り、布団にうずもれると、これまでに「きみに会社勤めは向いていない」と言った、…
1. 彼に告白をさせたい一心で、私は黙りこくって待っていました。 好きだと言わせたい。この使役の形をとったきわめて受け身な願望は、言質を取りたいという幼い不安にもとづいていました。つまり、告白さえ受ければ、「こんな私でも、あなたのほうから、…
これより先、図式を単純化するため、性器の形状のみによって人間を男性と女性とに二分する横暴な書きかたを用いること、ここにあらかじめ記しておきます。 私はかつて男性差別に加担しました。高校の体育の授業では、男子にだけ更衣室が用意されていませんで…
殺人的な真夏が死に、私は夏を生き抜きました。暑いのは早起きより人混みよりだめで、このところ「真夏の死」という小説の題を想起しない日はないほどでした。しかし気温と日照のほかは、例年通りの、事件性に乏しい日々でした。私は海にもビアガーデンにも…
恋バナなるものについてゆけない、成長の遅い中学生でした。いちどからかわれてみたくて、試しに「好きな人いるかも」と嘘をついたところ、だれだとお調子者がしつこく尋ねてくれたのですが、いないものは答えられません。むこうもこちらもすぐに飽きてしま…
ここに書きつけてゆくわが思想めいたものの、ほとんどは産まれたてです。ひらめいたときに書くか、書いているときにひらめくかしています。文字を覚えるより早くから私の芯に根づいている性癖といえば、「指図されるのがきらいだ」くらいです(好きなタイプ…
母によると、幼い私は「極端に死をおそれていた」そうです。それは自身の記憶にないほど遠い昔の話ですが、小学生のころ、私はなにかの病気ではないかとおびえていたことと、大人になりたくなくて泣いていたこと、中学生になってから、ふくれあがるからだが…
レッスンにてエヴァンスのワルツを弾いたところ、「若いね」「色気がない」「それじゃマーチよ」と先生はさんざんほんとうのことをおっしゃって笑われました。表現者を形容する場合、「若い」とは、実年齢をさして言うものを除き、からかいか、せいぜい免罪…
「彼氏いるんですか?」と、「きれいなおねえさんが好き」と述べたばかりの私にたずねたこの人は、さっきの「好き」を「そういう好き」ではないと受け取ったようだけれど、「そういう好き」ならばそれが双方向のものであるという確信を得るまでひた隠しに隠…
自分の声は「浮いている」というよりむしろ沈殿している、と、女の子と話しながらしょっちゅう感じます。透きとおっていたり、熱っぽかったりする、多彩な高い声を聞き、私がきまって想起するのは、かわいらしい手毬麩です。汁椀の底から見上げる気分でしゃ…
「子どもを持たないものが子育てに口を出すな」といったふうに、経験したことのないことがらについて語るな、という主張を聞くことはめずらしくありません。しかし、経験の有無と、語ることの是非とはまったくの別物であると私は考えます。 上述の命題を真と…
「多様性」の一語は、私の観測するかぎりでは、自身や多数派とはことなるところに所属する人々を認めよう、というほどの意味のなかに押し込められています。就職活動の前線にて、「外国人」や「障碍者」が、言うなれば「わが社の多様性を証明するもの」とし…
ほんとうは、こまかなうぶ毛の生えた桃をパックに詰めて並べる開店前の時間がいかにしあわせか、というなんにもならない話をしたいのですが、これからここに書くことは、杉田水脈氏による寄稿の全文に目を通し終えたいま、冷めないうちに供するとしましょう。…
週末の上野に雨は降りませんでしたが、長蛇の列に、ちらほらと傘の開いた眺めは、昨年の秋に同じ美術館を訪れたときとよく似ていました。その傘というのが日傘であり、心底から日射しを厭う顔がそこらじゅうに息づいているのを見て、しかしいまは夏であると…
私はそのうち結婚するでしょう。それは制度の恩恵に浴するためかもしれませんし、説明の手間を省くためかもしれません。いずれにせよ、相手の希望を叶えるためという意味も含んでいれば望ましいと思います。結婚とは、愛情ではなくだいいちに生活の問題であ…