ひらログ

ひららかのブログ

脱ぐ

 あっけなく痩せてゆく肉体が自身のものとは思われないということへの戸惑いを綴って、数ヶ月が過ぎた。その後まもなく体重の減少は止まった。人体のホメオスタシスには目をみはるものがある。

 私はようやく、私のからだに実感をもちはじめることができた。鏡に映し、熱い湯を浴びせ、伸ばして揉みほぐし、どうやらこれが私であるらしいということを、私に教えた。いまでは、かつての体型を思い出すほうが難しい。そんなものだ。慣れること、忘れることも、人体に備わった機能なのだろう。

 現在は、この体型が気に入っているといってさしつかえない。鼻と顎、首と肩の線がここちよい。骨格がたくましいから華奢な印象はもたれないし、そもそも他人の目に明らかなほど痩せてもいないのかもしれない。肉体の主人たる私だけが、構成要素を削ぎ落としてゆくかのような悦楽に浸っている。

 痩せて嬉しかったのは、ショートヘアが似合うようになったことだ。ついでに、弦楽器や鍵盤楽器も(ただしこれは、より個人的な趣味にすぎない)。来月、美容院に行くときは、もうすこし短くしてもらう。髪を切ると、性別が脱色される気がして身軽になれる。

 私に「ロングヘアは女性の表象あるいは特権である」といった意識はまったくないということを、書き添えておきたい。ゆえに、かつては好んで髪を伸ばすこともできた。とはいえ、私に女性性を期待する周囲の誤読は避けられない。わが「女の命」とやらの艶めきを讃える人があり、私を慎み深いものと見誤って近寄り、口をきいてみれば怯んで去ってゆく人があった。

 そのことに辟易して、脱いだ。ロングヘアを。アイシャドウとリップティントを。チャンキーヒールのパンプスを。私の場合、もとから強い愛着を抱いていたわけでもないから、惜しくはなかった。もし、先入観に起因するなれなれしさや、たえまなく投げかけられる不躾な質問から身を守るために──よそゆきの見てくれのためだけにお気に入りを手放さねばならないとしたら、耐えがたいことだろう。

 私は長い髪とやわらかな肉を脱ぎ、二元論の文脈における性別からは脱色された外貌に近づいたと思う(私は「男装」をしたいのではない)。身軽になった私、私を美しいものと信じる私は美しい。しかし安堵するには早い。企みの半分も成し遂げていないのだから。

 私が真に脱ぎ捨てたいものは、他人の容姿にアイデンティティとの癒着を見出したがる態度であり、二元論それ自体である。だれもが好きに装う世界、ただ好きに装った姿がお仕着せの社会的コードに収斂されることのない世界を待ち望んでやまない。

 私と最愛の宇宙人とは、それぞれが別の場所で不可解や不愉快に遭遇した日、その旨を気軽に報告する。昨晩の電話では、おもに私が報告をする番で、「取引先の代表が、先輩に妻子がないことをわざわざ聞き出した上で『結婚しないなんてさびしいよ』『結婚をしなければ一人前の男として認められない時代もあったんだ』とうそぶくのを耳にしながら、私は机の下で中指を立てていた(し、先輩にもそう伝えた)」といった話などをした。

 彼や、いとしき学友に会う以前の私は、「話すことで、楽になる」という感覚が稀薄だった──生乾きの苦痛を他人にひらいて見せ、決定的な事実として刻印し、喉を震わせて反芻するよりは、押し黙ってぼやけてゆくのを待つやりかたを好んだ。つまり、平たくいって、愚痴の効能を信じなかった。

 知らず識らずのうちに、私の内面は劇的な変質を遂げていたらしい。平日の夜ふけ、離れて暮らす最愛の他人に、いやだったことをあえて思い返してつぶさに話すようになったのは、いったいいつからだろう。

 外向的でも話し好きでもない私が、みずからをとらえた怒りや失望を彼にすすんで開示するのは、全幅の信頼を寄せている証拠にほかならない。彼は安全な場所だ。私の居場所でありたいという彼の意志が、私に心安く裸の声をこぼさせる。

 私たちは、互いの暗く重いことばを受けとるとき、凪いだ耳としてただそこにあろうとつとめ、傾聴を装った事情聴取に精を出すことはない。私は彼に、彼は私に、「考えすぎ」「気の持ちよう」と告げたことはいちどたりともない。彼は私の悲しみを私のごとく悲しまず、それでいて、私は悲しいのだとたしかに識り、抱きとめる。私は、私は彼でないこと、彼は私でないことを知っており、その事実に敬意を払う。私たちのいかなる嘆きや誹りも、私たちのあいだに「楽しいおしゃべりを台無しにした」という後悔をもたらさない──私たちが困難や疑問を訴えるときの、憤り沈みきった姿、粗野な言動は、互いの芯にある甘やかでやわらかい印象をほんのすこしも傷つけない。

 未整理の事項にかんする思いつきや、我慢ならない不合理、わが低俗な趣味について、私がまっさきに話す相手はおおむね最愛の宇宙人である。そして、彼のほうでもそんなふうであったら、と、思わないでもない。

 私は彼に嘘がつけない。その必要を感じない。私たちは、互いの人格に浸潤し、よそゆきの顔を脱がせ、しみをこぼし、爪痕を留め、またその状況に愉しさを感じている。これを愛と呼ばずしてなんというのか?

二六にもなれば

 ことし二六歳になるらしい。生まれてきてしまったこと、生きてゆかねばならぬことを、どうとらえてよいのかわからないまま、なんだかんだ、おおむねすこやかにながらえ、四半世紀を突破した。

 いまのところは、歳を重ねるごとにいろいろのことがやり過ごしやすくなっている。生家の庇護下をぬけだして、私の主人がまぎれもない私自身となったことが最大の理由だろう。ふたつめは、「若いのに」だの「若いから」だのとやかく言われなくなったこと。私の能力を「年齢のわりに」という条件つきで過大評価したり、私の見解を未熟で性急な一時の感情として処理したり、経験のみにもとづくナラティブな教訓でもって私の口をふさいだりする「大人」はもういない。私がこれからの若い人に同じ仕打ちをしようものなら、ぶって止めてほしい。

 二六にもなれば、もうすこし円熟した私でありましょうか──そんなふうにうっすら期待したけれど、そんなことは全然なさそうだ。二五の時点でこのありさまだから、順当としかいいようがない。しかも、学生のころ書きとめたことばたちを読み返してみても、心境の変化と呼べるものをとりたてて感じない。年月がなんだというのだ。どこまでも、どうしようもなく、おまえはおまえだ。

 それにしてもだ。三〇代まで生きのびそうな感触を覚えはじめてなお、ファック・レイシズムとかファック・ヘテロセクシャリズムとか書き散らしている予定はなかった(そもそも生きている確信がなかったし、べつにいまもない)。傾聴とか宥和とか馴化とか、ついでに忘却とか鈍麻とかもじょうずになって、ゆとりとまろみのある人格を備えているものかと。泰然とした、飄々たる、洒脱な……やめよう。笑止の沙汰だ。いくつになっても不可能だ。年月がなんだと書いたろう。せめて部分的にでも無心になれる瞬間がほしくて、ひとつにはそのために趣味をもっている気がする。銅版で焼いたホットケーキをほおばっているときや、楽器と遊んでいるときの私は、からっぽでやわらかい。

 未来に私というものがありつづけるなら、私に告ぐ。いま、ここにある不合理や理不尽に対して、怒りや悲しみを表明することは、どれほど年老いたってやめたくない。意思表示の放棄を成熟とはいわない。それは魂の枯死だ。

 ここで問題にしているのは、上述の点ではない。初夏には二六にもなる私にとって不可解なのは、過去に対して、稀釈や美化の作用がいっこうに及ばないことだ。出身高校の印象は「エリートのマチズモの煮こごりって感じでゲロ」につきる(なんどでも強調しておくが、友人には恵まれた。ただし子どもたちを取りまく大気がゲロで、私をも含めて従順な優等生ぞろいだからゲロを吸いこんでは吐きだしていた)し、実家に顔を出す日の緊張と疲労と倦怠が霧消する気配もないし。それどころか、最近になって「他人の酔態を過剰に嫌悪してしまう自覚があるから飲み会に行かないのとか、おごってもらってばかりの自分にムカついてしまうのとか、生育環境に起因するのかもしれない……でも妹はそんなことないみたいだし育ちのせいにしたくないな……」みたいなひとりカウンセリングを頭のなかではじめた。終わったことくらい、どうでもよろしくなりたい。私のなかで終わっていないのだろう。

 とはいえ、十代のころとなにひとつ変わっちゃいない、とは決して思わない。格段に過ごしやすくなったのは事実だ。私の人生は大学からはじまったし、私の生活は三社目にすべりこんでひとり暮らしをしてからはじまった。はじめに書いたことがら以外の大きな変化は、鏡に映る顔が好きになったことだろうか。きらいじゃなくなるのに二〇年かかって、好きだといいきれるまでには二五年だ。周囲の評価はずっと変わっていないのに。失礼な寸評をよこす人には出くわさなかったし、ごく親しい人は辛抱強くほめつづけてくれた。ありがたい。ここまでに四半世紀を要したけれど、遅すぎることはない。

 当記事には総括も解決もない。まだ枯れていない朝顔の観察日記みたいなものだ。私は怠惰で狭量で粗野ながらも二五歳の大人だから、無理な目標を立てないことや、実際のところ無関係の事項どうしを因果の糸で結びつけたくなる欲求に抗うことや、結論を急がないことができる。つづきを書く唯一の条件は、来年まで生きのびることだ。

 わかっているのは、このままゆくと、突出した才能はないのに話しぶりだけノエル・ギャラガーみたいなファッキン口の悪い老人になっちゃうってことくらい。それもよいね。

ベースが弾きたい

 ベースが弾きたい。でも、日商簿記検定試験を週末に控えているから弾かない。ひさしぶりの弦楽器をひっぱりだしたら、利き手にまめができちゃうもんね。

 試験前の私をいらだたせるものは、いつだって試験勉強それ自体ではなく、したいこととしてはならないことの奇妙な一致だ。満たされない欲求の増大というより、怒張とか腫脹とかいったほうが適切なさわりごこちをもてあましている。ベースが弾きたい。

 実をいうと、ベースをもういちど弾きたがる予定はなかった。同級生や同級生の同級生とバンドを組んで、中学から大学までベースを弾いた。そして、そのあとは、二度と弾かないつもりでいた。

 嫌気がさしたのだ。バンドという濃密な人間関係の形態に。部活動やライブハウスをとりまく大気に。高校では、ルッキズムジェンダーロール、ホモフォビア。大学では、それらに加え、泥酔上等、ただれた生活ぶりを喧伝して上機嫌といったありさま(全員や特定の個人では決してなく、ある場所や場面で支配的だった価値観の話をしている)。高校生や大学生がほんの子どもであることも、「強豪校の部活」がある種の教えを説く団体じみていることも、ありふれた状況にすぎず、だれを恨むわけでもないけれど。

 そしてなにより、かなしいかな、私はベースがうまくない。それで、弾くのをやめた。バンドは楽しかった。楽しくなかったら、もっと早くにやめている。それなのに、当時を顧みれば、疲れと、気後れと、恥の色がうなじから耳たぶを染めて顔いっぱいに広がるようで、私は楽器ケースに堆積してゆく埃を払わずにいた。聴くのはずっと好きだ。聴いて満足するくらいがちょうどよかろうと見ていた。

 その目論見は甘かった。聴くだけで満足する人間は、そもそも楽器を手に取らないはずだから。わが最愛の宇宙人は、出会ったころからまぶしく見上げているキーボーディストでもある。音楽を浴びては産みだすこの人が、私をそそのかした。当人にその意図はないのだろうけれど、おすすめのアーティストに、できたての新曲に、鍵盤の上を躍る指に、腹の底をくすぐられる。数年かかってくすぐられて、もういちどベースが弾きたくなった。

 最愛の宇宙人が音楽をする動機は単純で、楽しいからしているということらしい。この場合、単純さは頑丈さであり、ゆるぎなさであるといってさしつかえない。楽しそうなところを見れば、こちらも楽しい思いがしたくなってくる。音楽は楽しい。音楽は楽しかったのだ。降り積もった埃を払い落して、いまもういちど、音楽は楽しいという私であることが、うれしい。

 これから、私も単純に音楽をしようとおもう。人間と関係する能力に欠陥があるなら、ひとりで弾けばよろしい。うまくないなら、練習をすればよろしい。楽しくなくなったら、そのときにやめればよろしい。

 ペトロールズ「よなかのすうがく」を聴きながらこれを書いた。先週末に最愛の宇宙人が教えてくれた。ベースが弾きたい。

手取り16万日記

 手取り16万円台・賞与なし・昇給の見込みなしのひとり暮らしをつづけた感想は「暮らしてゆくのに困ることはない。それ以上のなにものでもない。来週は心配ない。来月もなんとかなる。来年以降のことを考えると、不満と不安で胸がつぶれそうになる」ってところ。

 家賃や公共料金、通信費が払えないなんてことはありえない。通院は欠かさないし、美容院にも行ける。外食も、トーストとコーヒーを含めて週に三度くらいする。好みの日用品や家電を少しずつそろえている。友人や恋人に会える日は、自分なりの贅沢を楽しむ。ここに書いたこと、ぜんぶしたら赤字だけどね。

 16万円ちょっとあったら生活ができる。それだけ。それだけだ。貯蓄のペースを上げたい? 長期の旅行? 事故に遭ったら? 習いごと? 母や実家の猫になにかあったら? ──考えるな。考えたってどうしようもないから。なんか、そんな感じ。その日の暮らしには困らないが、視界はいっこうにひらけない。いつまでこんなふうでいるの、としか思われない。

 私は大学院に進学したい。グランドピアノを自宅に置きたい。これらは手取り16万円台の身からすれば、いずれも過ぎた願いなのだ。子どもはほしくないけれど、ほしくてもあきらめるほかないでしょう。なくても生きてゆけるが、なくしたらなぜ生きてゆくのかわからなくなるものたち。なぜ生きるのか。少なくとも、働くためというつもりはまったくない。

 お金がないと、お金がかからないほうを選ぶようになる。安いものを買うだけならまだしも、どこかに行くとかなにかを食べるとか、すっぱりやめてしまう。カフェ、入らないでおこう。入場料って高いな。受験料も高いな。電車に乗るだけで500円か。本、きょうじゃなくていいや。家と職場の往復が生活を占めだす。ほかには、ときどき駅前、以上。

 お金がない、かつ手に入る見込みもない状況が継続すると、あきらめることを覚えて、欲求それ自体が稀薄になる。自身の肉体や、将来という概念さえ、現実感をうしなう。ウィッシュリストとかライフプランとか、つくったところで叶わないし。一生このまんまなら、未来とかないほうがずっといいし。あってもコストがかかるだけだし。いちばんよろしくないことには、自尊心が損なわれる──これがあくせく働いて得られる報酬か。これが私のする仕事の価値か。これが私の抱いてもよい希望の上限か。そのうち、勝手に引け目を感じてともだちに会わなくなりそうで、そんなのいやだ。ファック・身の丈とふ呪い。

 貧乏(とあえて書こう)を知ってよかったと、思わないでもない。実家がわりと裕福だったから。もちろん、想像力という名の知性を備えた人なら、身をもって経験しなくたってかまわない。ただ私には必要だった。貧乏をしなかったら、「学び働けば報われる(=報われない人は学び働かないからだ)」と信じきったまま死んでゆくに違いない。恥ずかしさで息がつまる。それはそれとして、はやくぬけだしたいのは、たしかだ。

 思わしくない状況に置かれたとき、それが永続するかのように思いなし、絶望に身を沈めようとするのは、わが思考の悪癖にほかならない。手取り16万円台は、キャリアとしては新卒同然にもかかわらず歳だけを重ねた(そこまでいう?)秒でやめ太郎の初任給としては妥当だ。これからもっと稼げるんだったら、嘆くほどの少額ではないよね。どうやってもっと稼ぐ? まず勤め先を変えないとね。

 一生このままって決めつけるのは不毛って、わかっている。でも、よくないときに、「これからよくなる」って、どうして思えるの? しかも、いまだって、やれるだけのことをやっているのに、暮らし向きが楽にならないのは事実だ。それなのに、「これからよくなる」って、どうして思えるの?

 これからお金に不自由しなくなって、お金のことなんて考えずにすむようになったとして、「あのときがんばったから」とほめられたら、なんと答えてよいかわからなくなる。お金がない人は、がんばっていないわけじゃないから。それに、がんばらないと貧しくなる社会に生きたくないから。生存ってマジ不随意(これは実家でぬくぬくしていたころからずっと感じていた)。