ひらログ

ひららかのブログ

痩身

 十年以上ぶりに体重が五〇キログラムを下回って、一ヶ月くらい経つ。痩身の同級生や妹に強烈な劣等感を抱えていた高校生の私が、どれほど望んでも得られなかったからだつきを、二五歳にして実現した。そして、そのわりには、なんの感慨もない。

 ひとり暮らしをはじめると、体重が自然に減りだした。二ヶ月に一キログラムくらいのペースで、ゆるやかに。体調は以前よりよくなったくらいだから、栄養不足の心配はないだろう。私はなんの苦労もなく、かつて憧れた痩せ型になった。

 標準体重の範囲内で、重いほうから軽いほうに移っただけでも、外見には驚くべき変化があらわれるものだ。「骨格によって決まっているから変えられない」とばかり思っていた肩幅が、こころもち華奢になった。肩に見えていたのは腕の肉だった。胴は薄く、膝関節から上は平坦になった。鼻と顎の線は鋭くなり、顔が小さくなった分だけ、相対的に目が大きくなった──これは嬉しかった。ただし、なめらかな手の甲や腰まわりは、痩せる前のほうがうつくしかった気もする。

 痩せた私が直面したのは、私の肉体と容姿、そして欲求さえも、私のものであって私のものではないという事実だった。つまり、これまでの私は、私自身の食欲のみに従って食べていたのでは決してないということだ。

 体重五〇キログラムを切るまでに、食事制限も運動も一切していない。食べたいものを食べたいだけ食べていたら、少しずつ痩せた。かつて私の標準体型を維持していたものは、大人たちの庇護と愛情と、「出されたものを残してはならない」という規範意識にほかならなかったらしい。食べることは好きだ。食べてきたものはおいしかった。けれど、大量に食べることや、他人の食べ残しを引き受けること、満腹感が好きなわけではなかった。少し苦しいときもあった。食事のあとは少し苦しいものだと思い込んでいた。

 完食を強制する家庭で育ったわけではない。しかし、きまじめで感じやすい子どもだった私は、教科書や広告で見聞きした「残してはならない」を内面化し、からだにとっての適量という観点をもたなくなっていた。そこにあるものを食べつくすだけだった。規範意識と欲求の癒着が完治したとはまだ思えない。ひとりの家には、買うか作るかしないかぎり、食べるものがない。「あるから食べる」が「ないから食べない」に姿を変えただけということもありうる。それでも、苦しくないだけ、よくなった。

 いまは、からだが軽い。それに、なにより、鏡のなかの自身と目を合わせるのが楽しい。こんな日がくるとは願ってもいなかった。高校生の私は、私の顔がきらいでしかたなかったから。写真を撮られることは極力避け、卒業アルバムはいちども開かずに処分した。

 なぜだろう。痩せはじめたことで、たしかに顔立ちを気に入ることはできたのに、痩せたからだを喜ばしいとは思わないのだ。かといって、また太りたくもない。いまはただ、私の肉体は私のものであって私のものでなかった──私の体型を決定していた要因は、私自身の欲求に動機づけられた行為だけではなかった──という事実に、放心しているような状態だ。

 本来の私は少食ぎみだったらしい。いな、それも確実ではない。怠惰ゆえに、「食べたい」を「作りたくない」「眠りたい」がかき消しているだけかもしれない。お金があって飲食店が夜遅くまで開いていれば、毎週末、贅沢な夕食に舌鼓を打っただろう。このような、自身の意思の不確かさにも戸惑っている。私の嗜好や習慣を決定するのも、また私自身ではなかったというのか。

 だから、痩せたところで、嬉しくも悲しくもないのだ。どこかひとごとだ。平たくいって、私のからだに起こったことは、「実家が裕福で責任感が強いからたくさん食べていた」が「貧乏でめんどうくさがりだから痩せた」に横滑りしたというだけだ。どちらかといえば、私のからだをかたちづくっていたのは私ではないらしいという事実のほうに、打ちのめされている。

 このまま痩せつづけてしまわないかが不安だ。痩せないために食事の量を増やさねばならないとしたら、おっくうだ。痩身の人を「細いね」と評するのがどれほど無礼で酷なことか、身をもって知った感触がある(むろん、当人の自己評価や当人との関係によっては許容されうるが)。私は太りたくて太っていたのではないし、痩せたくて痩せたのでもない。よほど親密な相手でないかぎり、みずからの意志により選びとったわけでもない体型に言及されるのは、内容にかかわらず不本意だ。

 ふと、筋力トレーニングに興味が出てきた。「健康・体力増進」「自分を好きになる」とかいった前向きな希望はここにない。「どんなからだになりたいか」さえ、まったくわからない(書きながらこのことを自覚して、たいへん驚いた)。ただ、からだを鍛えることは、からだを自身の管理統制下におくことと同義なのではないか──そう考えたのだ。私は私を所有したい。私は私の意志にもとづく行為によって肉体を変質させる経験をしたい。私のものでありながら私のものでないからだに、現実感と関心を覚えてみたいのだ。

私の尻は私が叩く

 好きで好きで大学に通っていたものの、経済的な事情や進路に対する不安やみずからの能力の限界を悟ったことなどにより、学部卒業後ただちにまったく適性のない集団生活に身を投げた私のごとき会社員の大半は、折にふれ「大学時代のほうが意欲を燃やして生きていた」という事実に直面する。

 でもさ、二二歳で文学学術院を出て、先月から二五歳。そろそろ、根深い「大学院に行かなかったコンプレックス」と生涯をともにするのも癪だという気分になってきた。で、じゃあ、どうして大学が楽しかったのか検討しようってところまで、ようやく進むことができた。きょうはその話。

 大学生活が楽しかったのは、関心の対象(当時の私の場合は、日本の近現代文学)に接するいとなみに、多くの時間を費やせたからだと考えていた。それに、私がだいじだとかおもしろいとか感じるものに同じく興味を示す友人と、一流の専門家、膨大な資料に囲まれていたから。そして、それだけじゃなかったことに、けさ突如として気づく。

 大学は教育機関だから、カリキュラムがある。したがって、課題(卒業論文はその典型だ)と期限(レポートの締め切りも、四年で卒業するという取り決めも)と評価(イコール成績)がきわめて明瞭だ。だからがんばれたんだな、と最近になって思う。かりに、卒業所定単位数がもっと少なかったら? 成績が合格と不合格の二種類だけだったら? 私がキャンパスに顔を出すことはほとんどなかったかもしれない。

 私を地下書庫に駆り立てたものは、知的好奇心と学友と恩師、それから──課題と期限と評価の存在であった。このことには少なからず落ち込んだ。というより、気づくのが遅すぎたことに。わが尻をお叩きくださる指導教官に導かれ、辛くも卒業した怠惰な学生にすぎないくせに、みずからの内なる欲求に衝き動かされ、読み書きに耽っていたかのように記憶を改竄していたのが恥ずかしい。大学は楽しかった? あたりまえだ。決して安くない授業料には、学習計画立案代行費とモチベーション管理費も含まれていたのだ。

 尻を叩かれてはじめて走り出す人間など、ありふれていることはよく知っている。たいていの人間は怠惰だ。予備校や資格スクールが繁盛するのは、人並みに怠惰な人間のおかげだ。私は怠惰であり、多少の怠惰は必ずしも悪ではない。けれども、このしんから怠惰な魂がすべての元凶だとしたら──修士課程の幻がいまだ脳裏をかすめ、会社秒でやめ太郎をくりかえし、「生活に飽きた」などという荒寥たるツイートを産むのだとしたら──よりよく生きのびようとつとめる私を怠惰な私が殺す前に、発想の転換を試みねばなるまい。

 「怠惰」とだけ書きあらわすのは不正確だろう。課題の提出状況と成績表だけを見れば、私は申し分なく勤勉な大学生だった。でも、そこじゃないんだ。これは「それって、他人から出された宿題でしょう?」という話なんだ。私の改めるべき怠惰は、つまり、モチベーション管理を外部に委託する姿勢だ。もはやおまえは学生じゃない。にんじんをぶら下げ、尻を叩いてくれることを、周囲に期待するな。元・会社秒でやめ太郎よ、仕事の目標を立てよ。それでもつまらないなら、会社をやめてよい条件をみずからに明示せよ。

 会社をやめられるのは、収入を確保する別の方法にありついたときだけだ。当面は、この職場にとどまるほかない。ここでやることを、自力で探そう。そう思い立った私は、コンプラセキュリティゆるふわガバガバの弊社で、だれもやらない情報システム部門の業務を買って出た。買って出たはよいが、情シスのことはなにも(弊社ではだれも)知らない。それで「ITパスポートを取得します」と宣言した。資格試験は好きだ。受験料とひきかえに尻を叩いてくれる。

 根本的に仕事をしたくないわけだから、情シスだのiパスだのにもそのうち飽きがくるに違いない。いまだって、「よし! やるぞ!」という気持ちになりきれてはいない。それでも、すべきことがないより、いくぶんかましだ。習得した知識や技術が、ほかの逃げ道を開いてくれるかもしれないし。しばらくここで一日のうち九時間を過ごすことは決まりきっている。だったら、新しいこと、ほかのだれもやらないこと、勉強すべきことを、ひねり出そう。

 三社目にすべりこんだのは、未成熟な零細企業だった。ありとあらゆるしくみがゆるふわのガバガバだが、それを変える自由もある。もういちど倉橋由美子を読むための余暇もじゅうぶんにある。一社目のような、新入社員によるシステムの変革などとうてい望めない、古く巨大な組織とは違う。二社目のような、従業員に一個の人格があることを認めない代表の支配する監獄とも違う。

 私はある種の希望をかきたてながら、私の尻を叩く仕事をはじめようと決心した。

生活に飽きたら

 生活に飽きた。はじめてのことだ。特定の趣味や仕事にではなく、なにか、うすぼんやりと、生活全般に飽きた。

 適応障害の再来ではないだろう。ただちに取り除くべき、耐えがたい苦痛を味わっているわけではない。かつて陥った「なにもしたくない」も、食欲不振も過眠もない。ただ、なんか飽きた。なぜだろう。

 「生活に飽きる」とはどんな感じかというと、疲労とか倦怠とか呼ぶとちょっと大げさで、どちらかといえば乾燥している。仕事や家事は問題なくこなせるし、毎日に目標やささやかな楽しみもある。けれど、そこから得られる刺戟や感動は底が見えているというか、たかが知れているというべきか。

 やりたいことがなにもないわけじゃない。作りたい料理、弾きたい曲、取りたい資格、歩きたい川辺、読みたい本……はいくらでもあり、実際に手足や頭を動かすこともできる。それなのに、それらを叶えんとする瞬間のよろこびが、精彩を欠くような、そんな感じ。肉体の、肉体ではないところにうすい膜が張っている。

 なにもしたくないわけではない、とさっき書いた。むしろ、なにもせずにいることができなくなった。もとから無駄をきらう性格だったのなら問題ないけれど、本来の私は、なにもしない余白をこよなく愛する人間のはずだ。

 それで、「これをすれば、なにかしら意義のあることに取り組んだという実績をつくれる」みたいな動機から、掃除をはじめたり参考書をひらいたりする時間が長くなった。根が怠惰だから、疲れるまでやりこむ心配はないし、実際に意義のあることをしているのだけれど、やりたくてやるよりは楽しくない。

 もっと端的に「生活に飽きる」をいいあらわせないだろうか。うーん、好物ぞろいだったディナーブュッフェも、どこになにが置いてあるか完璧に覚えてしまって、いつしか「元を取らなきゃ」に転じていたような感じ? たいへんよろしくない。つまらないし、悲しい。どうして、こうなっちゃったんだろう。

  • 実家を出て猫と離れた
  • 実家を出てピアノにさわらなくなった
  • 最愛の宇宙人が県外に住みはじめて会いにくくなった
  • しばらく友人の顔を見ていない
  • カフェが20時に閉まるから、夜は家にいるほかない
  • 気軽に遠くへ出かけられない
  • 仕事にすっかり慣れた
  • じつは家事に疲れているのかも
  • ひとり暮らしをはじめて、いちにちのあいだに起こることがあらかじめ手に取るようにわかってしまう
  • 世相が暗い
  • 睡眠が足りない
  • 運動が足りない
  • 日光浴が足りない

 思いつくのはこのあたり。ひとり暮らしは心身の健康によい。それは私にとって輝かしい真実であるが、そのぶん家の外では未知と遭遇していたいのかもしれない。そして、手に取る書籍や観にゆく映画は、けっきょく私の頭で選びとったものだから、既知のなかの未知にすぎず、意表を突くという観点から評価すれば不十分なのだ。

 このやるせない渇きを癒すには、生きものや、人がつくったのではないものを、さわるのがよいような気がする。たとえば、熱いくらいあたたかくて、目をみはるほどやわらかい猫。まぶたを透かす日ざし。夏のにおいに変わりはじめた風。考えたりしゃべったり笑ったり悪態をついたりする人間。

 存外、私は、人並みに他人の存在を欲する人間だったのかもしれない。想定外の事態に胸を躍らせる側面をもっていたのかもしれない。心底驚いている。実家に暮らして、「ひとりの時間がないと死んじゃう」と思いつめて、たしかにそれはそのとおりで、いざひとりの時間と空間を手にしてみたら、「ひとりの時間だけあっても、なんで生きているかわからなくなっちゃう」ことがわかったんだ。

 なぜそう結論したかというと、「生活に飽きた」とツイートしてすぐ、友人が食事に誘ってくれたのがとても嬉しかったから。これに飢えていたのだと直観したから。わが生活にふたたび愛着をもちはじめるための、ひとすじの光ではないかとさえ感じた。いま、書くこと、それを人に読んでもらうことの効能をかみしめている。

 生活に飽きており、受診を検討するほどの支障は出ておらず、明らかな原因も思い当たらない場合は、人に会ってみることにした。他人の存在は未知と偶然そのものだから。

絶対音感の功罪

 私は絶対音感をもっており、ときにそのことで不便を強いられており、また絶対音感が過剰に称賛される風潮をつねづね疑問視している。という話をします。

 ちょちょいと調べたところ、絶対音感というのは〈ある音を聞いたとき、その高さを、他の音との比較によらず単独で認識する能力〉らしい。その精度には個人差があり、私のはとくべつ鋭くも鈍くもないと思う。

 絶対音感ちょっとあるよ、くらいの人だと、ピアノの音がひとつだけ鳴っているときは高さがわかるけれど、和音はわからないとか。フラットやシャープがつくと判別できないとか。音程のはっきりした楽器や歌声ならわかるけれど、金属音や話し声はわからないとか。そんな感じ。

 私の場合は、ピアノなら和音でも聴きとれる。打楽器以外の楽器はだいたいわかる。金属やガラスを叩いたときの澄んだ音、ドライヤーや掃除機の作動音、サイレンやアラームなど機械音もわかる。話し声は、あいさつ程度なら判別できるが、通常の会話のスピードには追いつかない。雨の音はほとんどわからない。布が擦れる、紙を丸めるといった生活音はまったくわからない。わかるときの精度は、半音のさらに半分くらいまで。

 精確な絶対音感の持ち主になると、ヘルツ単位であらゆる音の高低を認識するらしい。私には未知の世界だ。それでも、否応なく流れこんでくる情報の多さ、耳と頭の休まることがない苦痛は、ぼんやりと想像できる。この点については、またのちほど。

 「音の高さがわかるってどんな感じ?」に答えよう。この点も個人差はあるが、私の場合「ドレミファソラシ」のカタカナが脳裏に浮かぶ。私の音感は、ピアノを幼少期から習っていたことで自然に身についたものだ。だから、そこで採用されていたイタリア語の音名と音の高さとが、分かちがたく結びついている。日本国内でピアノを習っていた絶対音感の持ち主には、ほとんど「ドレミ」が聞こえるんじゃないかな。

 と、ここまでは書きたい内容そのものではないが、今後のために必要な説明でした。長くなった。絶対音感の精度には個人差がある、ゆえに「稀有な特殊能力」でもなんでもない、とだけいいたかったのですが。

 絶対音感をもっているメリットってなんだろう? ピアノを習っていた身としては、譜読みがちょっと速くなることだろうか。楽譜をざっと見れば曲の姿が思い浮かぶし、音源があればなお心強い。あとは、つられずにハモれるとか。ポピュラーな曲をいちど聴けばメロディくらいは鍵盤で再現できるとか。バンドを組んでいる場合は、耳コピが苦にならないとか、チューニングのずれに気づきやすいとか。そんなもんか。そんなもんです。それだけ。

 これらってそんなにすばらしいことだろうか。音楽の道に進みたい人にとって、不可欠の能力だろうか。私の答えはノーだ。

 絶対音感のデメリットをふたつ紹介しよう。だいいちに、音楽が聞こえるかぎりカタカナの「ドレミファソラシ」がたえず流れこんでくるという感覚そのものだ。これが、うるさい。

 私は自室で作業に集中できないくせに騒音にも過敏という困った体質で、カフェでイヤホンをしながら高校数学をやりなおしたり文章を書いたりする。イヤホンをすると、周囲のざわめきは遮断されるが、こんどは音名の排列が頭を占め、思考を妨げる。ベルガマスク組曲パスピエを聴けば、うつくしき音の粒にともなって「ファドラドソドシドラファドファシファレファ……」が鳴りだすのである。耳慣れた曲ほどやり過ごしやすいので、勉強をがんばりたい日はお決まりのドビュッシーを選ぶことでこの問題に対処している。

 ふたつめのデメリットは、からだに染みついた音階以外を、耳が勝手に異物扱いしてしまうこと。多くの場合、日本の家庭用ピアノは〈A=442Hz〉に合わせて調律されるらしいから、私の耳もたぶん〈ラ=442Hz〉でできている。〈ラ=442Hz〉に調教されたといってさしつかえない。

 音楽の世界に唯一の正解は存在しない。ジャズやポップスでは〈A=440Hz〉のチューニングが一般的だという。さいわいにも私の耳は2Hzの差異に気づくほど敏感ではないが、アーティストがチューニングをわざと上げ下げしたり、天候によって楽器の鳴りかたが変わったり、歌声はなにしろ人間が出すものなので楽器よりひどくぶれたり、これまたわざとずらしたり、といった状況はありふれている。すると、幼少期に叩き込まれた音階から大きく外れた音が聴こえてくる。

 そんなとき、私の感想は「なんか高くね?」か「なんか低くね?」につきる。頭ではわかっているのに──ぱきっとブライトな響きにしたいから高めに当てているのだろうな、とか、レトロなラジオの雰囲気に合わせてけだるく低めに歌っているのだろうな、とか。

 それでも、耳は「きもちわるい」「ちがう」と訴えてくる。相対性理論の「人工衛星」をひさしぶりに聴いたとき、大好きな曲なのに「ボーカル低くね?」で頭がいっぱいになったのはほんとうに悲しかった。ここまでくると、特技というよりアレルギーだ。

 日常的に不便を強いられるのは、ひとつめのデメリットのせいだが、私を深く絶望させるのはこのふたつめのデメリットのほうだ。なんという皮肉だろう。音楽が好きで、音楽に親しんだ結果として身についた能力が、音楽鑑賞のよろこびに水を差すとは。絶対音感はときに、私の感性を貧しくする。音楽のゆたかなディティールやニュアンスを捨象し、十二音技法の型に押し込め、そこからはみ出したものには不正解の烙印を押す。

 「絶対音感があるってどんな感じ?」とたずねられた経験は少なくないが、うまく答えられたためしがない。私は物心つくより早いうちに絶対音感をもっていたから、「絶対音感がない」ってどんな感じかわからないのだ。たずねたい。絶対音感がないってどんな感じ? 半時間くらい音感をなくす薬があったら飲んでみたい。

 私の絶対音感は偶然の産物にすぎず、ときどき有効活用してきたという実感もあるから、疎ましく悲しい側面は大きいけれど、強い憎しみを覚えるほどではない。でも、日本の音楽教育における、絶対音感偏重(崇拝ともいう)、おまえはだめだ。とくに、子どもの意思と無関係に絶対音感を身につけさせようとする親、いますぐやめろ。消費者の憧れや無知やコンプレックスにつけこんで「子どもの絶対音感を育てる」とかいった書籍を売りつける専門家気取りはもっと有害だ。おファックですわ。

 私のごとき一般人はもちろんのこと、音楽の道に進む人にとっても、絶対音感は必須の能力ではない。邪魔になる場面さえ少なくない。ちなみに、鍛えるべきは相対音感──基準となる音との比較によって、音の高さを認識する能力──らしい。

 私もほしいよ、相対音感。幼少期を過ぎても育てられるらしいし。トレーニングしようかな。でも、絶対音感があると、なくても済んじゃう、たとえるなら、考える前に答えが見えちゃうわけだから、鍛えられないし身につかない。おしまいです。

 絶対音感そのものは、善でも悪でもない。私からすれば、便利なときと不便なときがあるだけだ。ただ、絶対音感のとらえかたを誤っている人が多すぎるように思う。絶対音感は、特殊能力でも音楽家の必要条件でもない。たんなる体質のひとつだ。絶対音感がないことを気に病んでいる人、子どもや生徒に絶対音感を身につけさせようとしている人は、不毛だからやめよう。絶対音感と音楽の才能に相関はない。

 どうか、この国の絶対音感信仰が解体されますよう。いつの日か、私の耳が、やくしまるえつこのささやき声に心安く寄りかかれますよう。

誕生日おめでとう

 五月七日。二六回目の誕生日を迎え、二五歳になった。きのう「一日早いけれど」と職場の人がくれた焼き菓子や、日付が変わってすぐに届いた友人からのメッセージが、私にそのことを知らせる。周囲から教えてもらうまですっかり忘れているものだから、二六回目にして、いまだ新鮮な驚きに満たされる。

 二五という数字は好きだ。二四よりも硬質ながら安定感を醸しており、また透明なかがやきをも感じる。二四のもつ調和の感じはたしかに美しいが、実用性に富む反面、その柔軟すぎる性格のせいで鮮やかさに欠けるようにも思われる。

 一二歳のころは一二が気に入っていた。ひさしぶりに、好きな数字と年齢が重なる。「ニ四は一二の二倍なのに、好きじゃないの?」と、二四が好きだという最愛の宇宙人は不思議がったけれど、二倍した結果はまったくの別物だから関係ないのだと私は答えた。

 二五は好きだ。二五は冷たく、明るくも暗くもなく透きとおり、ゆるぎない。私にはそう見える。私はゆたかな共感覚の持ち主ではなく、「見えない」数字のほうが圧倒的に多い。そんななか、二五には鉱石のごとき質感を見出せるから、きっとなにか特別な数字なのだ。これは印象や直観、あるいは趣味の域を出ない話だけれど。

 ついに四半世紀を生きのびた。在学時の目論見より遅れてひとり暮らしをはじめた先月から、私は健康そのものだ。過去のいかなる時期と比較しても、はるかに溌剌としている。生きていてよかったと思う。そうでなかったのはほんの数年前のことなのに、思い返したところで、当時の感情を体験することはもうできない。

 生きていてよかったとほんとうに思う。どうやら私達をスポーツの祭典に捧げる生贄とでもお考えらしいこの国にあって、閉塞感と憤りに抱かれながらも、生きのびる、生きてやる、と思う。しかし、〈生まれてきてよかった〉が私にはわからない。誕生を祝福される意味ものみこめない。誕生日とはなにか、ずっとつかみかねている。当日まで記憶しておくことが困難なのは、きっとそのせいだ。なぜするのかわからないことをするのが私はとても苦手だ。

 それでも「おめでとう」のひとことは嬉しく、最愛の宇宙人とは贈りものをねだりあって五回目くらいになる(正確な回数は忘れた)。誕生日を祝われるのは、嬉しい。誕生日の当日がとりわけ重要とは感じられないが、私は忘れている私の記念日に、私を思い出す人のあることが嬉しい。私のいう「誕生日おめでとう」は、これまで生きのびたことへのねぎらい、これからも生きてゆくことおよび生きてゆく世界が幸福であることへの祈り、ともに生きることへの喜び、などに翻訳されたい。

 敬愛する友人からおくられてきた、短い「おめでとう」にも、きっとさまざまの祈りがこめられているのだ。思慮深い人だから、期待が強制に転じないように、多くのことばを知っていながら多くを語らない。祝福をいっしんに浴びて、いまのところは二六歳の誕生日を迎える意欲をしずかに燃やしている、と私からこたえたい。

 誕生日は休日にならないから、大勢の他人たちにとってはなんら意味をもたない。その人のいま、ここにあることを喜ぶ人々にとってだけ、恥ずかしげもなく祝福のことばをおくることができる絶好の機会としてきらめきだす。二五歳、おめでとう。誕生日おめでとう。