遠距離恋愛
最愛の宇宙人が県外に引っ越した。大学院を卒業したてのほやほやで、入社式を間近に控えている。私のほうは今週末に実家を出る。早くみずからの稼ぎで食べてゆきたくて──世帯主の扶養を脱したくて──学部卒業後の進路を就職としたはずなのに、ひとり暮らしをはじめるタイミングが同級生の彼とぴったりいっしょでウケる。ウケない。二年間で二度も無職になるとは計算外だった。まあまあ、進学したら実家を出るのがもっと遅れたかもしれないし、これが私の最高速度。オーライ(このような過去の選択を正当化する防衛反応をあらわす古いことわざに「酸っぱい葡萄」があります)。
ここ実家は、職場まで二キロ、引っ越し先までは三キロくらい。同一市区町村内の転居って気楽だ。そうそう、詐欺まがいの手口を使う仲介会社に出くわした話は、無事に引っ越しが済んだら書くかも。
そういうわけで、私と最愛の宇宙人とは当面いわば遠距離恋愛の関係にある。が、この呼称が私はたいへん気にくわない。なぜだろう。
ロマンチック・ラヴ・イデオロギイの臭気に耐えかねるのかな。結婚までのつなぎ、みたいな。もうひとつは、「遠距離」は一種のアレンジあるいはバリアントにすぎず、そばにいてこそ恋人、同居という形態こそマジョリティでありスタンダード、って前提が根っこにあるせいかな。「棋士」に対応する「女流棋士」、「恋愛」に対応する「遠距離恋愛」、みたいな。わかんないや。ただ、なんとなく、つまんない。説明の手間を省くのに適しているから人口に膾炙したのだろうけれど、自身の口からは発したくない。
「遠距離」まではわりと言っちゃってるけど、「遠距離恋愛」って、ちがう。ちがう? なにもちがわないんだけどさ。私と彼とがしていることは、こうあるのは、「遠距離恋愛」なのか? じゃなかったらなんなのってきかれたら、なんでもないんだけど、なんかやだ。他人たちが使うぶんにはいっこうにかまわないし、いっさいの抵抗も違和感も覚えない。たんに私が私たちをそう形容するのはいやだ。
あるいは、恋愛関係にある人を、〈恋愛関係にある人〉の枠組みに押し込めるのがいやなのかもしれない。私も彼も、恋愛にとくべつ価値を置いているほうではないから。「遠距離恋愛」って、「恋愛」の響きが強すぎる。なまめかしくにごってとけあう複雑な和音の、高いところだけ拾っちゃうスピーカーの感じがする。
でも、いい。もっとふさわしい代わりのことばを探すつもりはそんなにない。ふたりのあいだでは、四年あまりそうしてきたように、依然として名前を呼びあうだけだ。私たち、引っ越しおめでとう。
光の糸
会わない人のことは忘れるいっぽうだ。高校以前の友人は、数えるほどしかない。打算的に選別を試みているとか、過去を清算しようとつとめているとかいうわけではなくて、たんに記憶領域が貧しいのである。顔と名がおぼろげになるのと、声やしぐさが輪郭を失うのとは、おそらく同時に進行する。そのあとも、友人や恩師をまぶしく見上げていた事実は頭に残るものの、その人のまぶしさを偲んだところで、当時のようにまぶしく感じることはない。
あっけなく忘れるものだから、思い出す手続きも簡便だ。ばったり会ったら、はっきりときらって別れていないかぎりは、たちまち嬉しさがこみ上げて、その場であすの約束など取りつけてしまいたくもなる。過ぎ去った年月が障壁となって自然にふるまえない、という感覚は身に覚えがない。会わなかった空白期間、その人の記憶があんまりきれいに欠落していると、想像していた姿と実際との落差というものが存在しえないから、ぎこちなくもならないのだろう。かつての同級生から食事に誘われた日は、部屋の隅で小躍りした。案外、私は、他人を厳しく拒絶する人間でもないのかもしれない。
忘れかけていた人から連絡があると、ありがたいな、としみじみ思う。私にふたたび関心をもったことも、またその関心を示してくれたことも。ときどき、私をとりまくほとんどすべての人間関係が、相手の意志のみによって継続していることに気づく。あの一通のメッセージは光の糸だったのだ、そんなふうにはっとする。
私には、もらって喜ぶくせに、あげないきらいがある。「去る者は追わず」とでもいえば聞こえはよいが、呼びとめられたら、肩を叩かれたら嬉しいのに、みずからそうすることはまれだ。声をかけたいからかけてきただけでしょう、したいからしてくれるだけのことでしょう、と驕っている。こんなに根が怠惰でも、他人たちとのあいだにはりめぐらされた糸が、ひとつ残らず切れてしまったことはない。ありがたいな、とやはり思う。
私は妹が好きだ。口が悪い人間のなかで、好きなのは妹だけだ。私たちの仲のよさは、両親も級友も感心するほどだった。妹は昨年の夏に実家を出た。あれほど仲のよかった妹を、私はすっかり忘れて過ごした。
妹は私を忘れなかった。私の引っ越し先が決まるまで、あれこれと母に質問をしたらしい(私を心配するとき、妹は私に連絡をよこさない)。新居の住所を報告したところ、「引っ越しを手伝いたい」と返信があった。妹が出て行った朝、私はひとり自室で寝ていたのに。
私は心底驚いた。私は妹が好きだが、妹のほうではとうにそんなふうではないと決め込んでいたから。傍若無人と見えて、内心ではだれよりも家庭内を流れる大気に敏感であったに違いない妹は、肉親を悪しざまにいう気難しい私を避けているのではないかと。違った。妹も私が好きだ。妹は私に光の糸を投げかけた。
「あのときはありがとう」や「ごきげんいかがですか」を、稀少な旧友に差しだしてみても、悪いことにはならないのではないかな、と思いはじめている。
映画館にはひとりで
今月は自室で映画を四本観た。『お嬢さん』、『コンテイジョン』、『パラサイト 半地下の家族』、『ゆれる人魚』。『お嬢さん』以外は、最愛の宇宙人が「おもしろかったよ」と言っていたのを思い出して探してきた。
おもしろかったよ。でも、おもしろいだけじゃなかったよ。そういう作品を、そういう作品だから、彼はおもしろいと評したのだろう。なんというべきか、たいへん刺戟に富んでいた。私からすれば「体調のよいときじゃないと、だめなやつ」だった。
『コンテイジョン』は風邪っぽい夜に一〇分で中断して、翌日に息をはずませながら完走した。『パラサイト』はいっぺんに観た。いっぺんに観たのはよいが、どういうわけか胃がしくしく痛んで、横になりながら三時くらいまで目を開けていた。『ゆれる人魚』は比較的、心安く最後まで観た。おとぎばなしだと割りきれるからか、膝に猫を乗せていたからか。
最愛の宇宙人は、映画をあくまで創作物として楽しめる体質なのだ。『ミスト』にも『ジョーカー』にも「おもしろかったね」のひとことだ。稀なる美点だ。一種の特殊な技能ともいえる。それにひきかえ、私は見聞きしたものに心身をゆさぶられやすい。ささいなきっかけで血の気を失う。おもしろい映画を観ているあいだは、きっとまっしろな顔をしている。よい映画は毒薬だから、一日一本より多く摂取しないようみずからを厳しく律している。
感受性が強いんだね、とのフォロー(だろうか)を受けることもあるが、そのような自覚はない。たしかに、音や光やにおい、そしてことばには感じやすいが、人の顔や声からこころの機微を察するのはとても苦手だ。あまりにおおざっぱなたとえだが、かりに刺戟の種類を頂点としたレーダーチャートによってわが感受性を図示したなら、鋭角をもった、全体の面積としてはかなり小さい多角形を描くだろう。
友人が、悩みを打ち明けたあとで「ひらちゃんは『ふうん』しか言わないから話しやすい」と、たぶんほめてくれたことがある。嬉しくないことはなかった。ほかにことばがいるものか、ふさわしいことばなどあるものか、とこれでも考えて聞いていたつもりだから。
向きあって、あったかくておいしいものたちの湯気を浴びながら、この子も私もひとりだと思った。あなたが苦しいというとき、それを耳にする私は苦しくない。ふたりいて、ひとりとひとりだ、と思った。苦しみがとりのぞかれますことを、と願ってやまなかったのは本心だが、苦しみを代わりに引き受けることはだれにもできない。
友人の身に降りかかったこと、友人がすべきと感じていることは、友人のものにほかならない。私は、私の悲しみを他人に私のごとく悲しまれるのがきらいだ。そのような態度を私に求める人があったとして、したくないことはできない。
映画を観て目の奥を熱くしたり具合が悪くなったりするのと、共感能力に長けているのとはまったく別々の話だ。私が映画を観るとき、登場人物にこころを寄せはしない。応援も同情もしたことがない。
ならば、どうして、「おもしろかったね」とほほえむ恋人の隣で顔面蒼白になっているのか。それは、映画のあらゆる精巧な装置に──光景に、状況に、関係に、時代に──みずからの体験をいやおうなく記憶から引きずり出され、のたうちまわっているからだ。けっきょく自分のことで頭がいっぱいというわけだ。そうして、みずからの生きねばならない現実の世界を描きなおす。映画を通して世界を見るせいで、映画を観る行為はつねに痛みと喜びに満ち満ちている。
私は、観たい映画ならひとりで観たい。なにかしらの映画を観たいだけのときは、最愛の宇宙人と観たい。私の語る映画の感想は、私の身の上話そのものにすぎないから。むきだしで、退屈で、閉じられた感情の殴り書きを、温かいうちにすすんで恋人以外に差しだすほど私は外向的ではない。
感想を語りあいたくて映画館に友人を誘う人の、少なくないことは知っている。遠い星ではそんな遊びが流行っているのだな、と思う。ほんのすこし憧れもする。私の殻はかたい。
猫を迎えた日
一.一月二三日
ロレーンもデルフィーヌも、こんなところで自分の話をされているとは知らずにすやすや寝ている。三毛のロレーンはキャットタワーのてっぺんで、キジトラのデルフィーヌは膝の上で。私の右腕はデルフィーヌの枕になっているから、片手でキーボードを打たないといけない。手の甲に生ぬるい鼻息がかかる。やわらかな腹と背が波打つように上下する。
二匹の保護猫を実家に迎えて、きょうでちょうど一年になる。保護猫カフェの店長さんが二匹を連れて来た昼下がりを思い出す。たいへんな甘えんぼうのデルフィーヌは見知らぬ家でも物怖じせず、私は初対面で顔を舐められた。
慎重なロレーンは、「ちゅ」のつくおやつにつられていちど寄ってきたきり、翌日までリビングの物陰から出てこなかった。「猫としてはこれが普通」と聞いて安堵したのを覚えている。そのロレーンがじつは遊び好きの目立ちたがりで、いまでは寝ている人間たちを踏みつけて走り回るなんて、当時はまだ知らない。
二匹がいつ、どこで産まれたか、知る人はいない。ロレーンは保護されるまで野良猫だった。左耳の先は避妊手術を済ませた証として切り取られ、激しい喧嘩をしたのか、前歯の一部は欠け、唇を閉じてもえぐれた口角から牙が顔をのぞかせる。デルフィーヌは捨て猫の子だろう。新生児期を愛護センターで過ごしたようだ。
わが家に来た時点で、ロレーンは「たぶん三歳か四歳」、デルフィーヌは「一歳か二歳くらい」。
二.冬
飼い主の愛情を独占したがるデルフィーヌは、私たちの関心がロレーンに向けられたのを察知すると、必ずロレーンを威嚇した。ロレーンは温厚な性格だが、敵意を剥き出しにされたら無視はできない。低い唸り声と荒い息づかいを聞く日々が数週間ほどつづいた。
二匹はもともと一緒に遊んでいたそうだし、だれとでも仲良くできる子たちだとの説明も受けていた。環境の変化が二匹の関係に悪影響を及ぼしているのは明白だった。
私たちはどこへも行かないと気づいたのだろうか。デルフィーヌの唸り声が、いつしかぱたりと止んだ。二匹が互いに毛づくろいしてやるのをはじめて見たとき、私と妹はほとんど涙ぐんでいた。おしりとおしりをくっつけて眠るのも、ひとつのおもちゃを二匹で追いかけるのも、いまではあたりまえの光景だ。
ロレーンとデルフィーヌと暮らしはじめたころ、私は無職だった。抗うつ薬を飲みながら転職活動をしている私に家族と出かける余裕はなく(時間はありあまっていたけれど、予定外の行動に充てられるほどの気力がなかった)、私以外の三人が保護猫カフェに足しげく通って譲り受ける子を決めたのだった。
私の転職とそのわずか五ヶ月後の退職、および二度目の転職を二匹は見届けたことになる。そのあいだに妹は最初の就職と転居をした。四人の家は、この一年で三人と二匹の住みかとなった。
三.春
ロレーンとデルフィーヌがいてよかったと思わない日などないが、とりわけ強くそう感じたのは、無職だった冬よりもむしろ、一回目の緊急事態宣言が発令された春だ。
うららかな日和に、出かける先はスーパーマーケットか病院だけ。恋人にもいっさい会わない。なにより、ひとりきりになることができず、気がふさいだ。五月に入って出社を命じられ、前職の代表が従業員の生命をつゆほども気にかけていないことを話しぶりから悟った、あのころ。だれにも会わず、どこにも行かないから、猫といられることだけが喜びだった。
目鼻や肌で季節の変化を感じとる機会を失った昨年、私たちは春の息吹を猫から伝え聞いた。アンモナイトみたいだったお行儀のよい寝相はどこへやら、四肢を投げ出して長く伸びる。みっしり、たっぷりとした豊かな冬毛が抜けはじめ、顔つきは涼しげに、こころなしか精悍にも見える。
猫はことばをもたず、「あたたかくなった」とからだいっぱいに言う。暗い世相とは別の時間を生きているかのようにすこやかだ。ロレーンとデルフィーヌがすこやかであることは私のいちばんの望みであり、祈りでもある。
四.夏と秋
無事に退職と転職を決めた夏からは、恐ろしく大きいものに対して無力や怒りを覚えることはあっても、身辺だけを眺めれば穏やかなものだった。新しい職場の居心地はすばらしく、残業もないに等しい。一〇分だけ自転車を漕いで帰れば、一九時には猫を撫でられる。
出勤も三人のなかでいちばん遅い。朝七時を過ぎたころ、母がしつこくつきまとってくるデルフィーヌを抱き上げて私の枕元に置いて、「あとは頼んだ」とばかりに飛び出してゆくのを横になったまま見送る。そのあとはデルフィーヌと、運がよければロレーンもそろって一時間ほどまどろむ。私の部屋は、部屋のなかだけは、平和そのものだ。
かりそめの平和維持のために、不満や感傷は人前で口にしない。たえず注視し、必要ならば批判すべき政府の動向は、体調がすこぶるよいときのほかは目に入れない。見聞きしない、考えない。心身をすり減らすことなく生きのびるには、これが手っ取り早い。身体の健康とひきかえに、想像力を鈍麻させるのだ。でも、いつまで? 猫はなにも知らない。知らずにいてほしい。いつだってやわらかな日ざしに包まれていてほしい。
いま、ここにあってはだれもがそうに違いないが──わけもわからず、息をひそめて、夏を這いずり、秋を渡った。気づけばロレーンとデルフィーヌと過ごす二度目の冬を迎えていた。
二匹を育てていた保護猫カフェは晩夏になくなった。感染症の拡大を防ぐため、そして猫を風評被害から守るために。店を閉じるも英断、営業をつづけるも英断だ。店長さんはクラウドファンディングで移住および工事費を募り、新たに長野県の某村で唯一の猫カフェを開業した。ロレーンとデルフィーヌの旧友に会える日を、私はずっと心待ちにしている。
(二匹に、ロレーンとデルフィーヌなどというスパイ映画から拝借したコードネームを割り当てているのはそういうわけで、このお店と店長さんはけっこう有名なのだ。この子たちにも猫カフェ時代のファンが大勢いる。むろん本名は別にある。)
五.二度目の冬
年末年始休暇のうちに、二匹の写真をおさめた一冊目のアルバムをつくった。友人が教えてくれた便利なサービスを利用した。データを入稿すれば、小ぎれいに製本したのを届けてくれる。家族に配ると、ここ数年でいちばんかもしれないと思うほどの勢いで感謝された。私自身にとっても、すべての愛読書にまさる宝物だ。
ロレーンとデルフィーヌは系統の違う美形で、ロレーンは風格があってやや鋭く端正、デルフィーヌはすこしとぼけたような愛嬌のある顔立ちだ。体型だけを見ると印象は反転して、脚が短く毛の長いロレーンは(じつはデルフィーヌより少食で軽いのに)たぬきのようにぽってりとしてかわいらしく、顔が小さく脚や尻尾の細長いデルフィーヌは、クレオパトラに愛されたという高貴なアビシニアンにも似ている。
要するに二匹はとびきりの美形なのだが、アルバムには、いかにも美形とわかるすました写真を採用しなかった。大あくび。餌の横取り。激しいじゃれあい。前足を上げたまま居眠り。隙だらけで、よくばりで、わんぱくで、だらしないところを撮った。うつくしくないところを撮った。同じ家に住んでいる私たちだけが知る姿だ。すべてがいとおしくてたまらない。
デルフィーヌが膝から降りたら、抜け毛とよだれの跡が目立つ毛布にくるまって、それらを残した張本人が潜り込んでくるのを待つ。待ったところで、そろって来る日やだれも来ない日、部屋を荒らしに来てすぐ帰る日などがある。私には選べない。ただ待つ。
あたためあって、私と猫は冬を越し、二度目の春へと歩きだす。
同性と交際した経験のない両性愛者が質問に答えます
私はヘテロセクシャル男性と交際している、バイセクシャル女性(のからだの持ち主)です。同性と交際した経験はありません。これまでに受けた質問に答えます。
ここで取り上げるのはおもに、友人からためらいがちに差し出された素朴な疑問です。「それは気になるよね」「知らなかったらまあ聞いちゃうよね」とうなずきながら書きました。おたより、ありがとう!
それでは、おひまつぶしにどうぞ。
どうして女の人とつきあわないの?
単に「彼女ほしい」などとは考えていないからです。いや、うそ。ちょっと仮定してみたことはある。まあいいや。
「互いに好意をたしかめた相手が女の人だった」というミラクルに恵まれたら、女の人とつきあっていたかもしれない。いまは、愛したのが男の人だったから、男の人とつきあっている。それだけです。
私は極端に内向的な性格で、他人と親密になりたいという欲求の希薄なほうです。「この人と恋人どうしになりたい」と願うことはあっても、漠然と「恋人がほしい」と思ったことはありません。
中学生くらいまでは、「だれのことも好きにならないか、あるいは男の人のことは好きにならないのかもしれない」と疑いながら過ごしていました。いま答え合わせをするなら、惜しい! ってかんじ。そもそも好きになる人がいなかったら、じぶんがなにを愛する性質の持ち主なのか、気づきようがないよね。
ゆえに、カップルの成立を主目的とした場に顔を出した経験もありません。交際相手とは「高校の同級生。大学生になってから趣味の音楽を通して再会、意気投合した」という、教科書の記述なみにありふれた出会いかたをしました。なにもがんばってない。まじラッキー。
そう、同性とつきあうということは、私の選びとった環境ではミラクルにひとしいのです。広告が、法制度が、歴史が、<すべての人間は異性愛者である>ことを前提としている、いま、ここにあっては。
なにげない雑談から「この人、私をヘテロだと見なしているな。説明しないかぎり、疑いもなくそう扱われるのだな」と思い知らされた経験は、数えきれないほどしてきました。さながら透明人間の気分です。
女の人とつきあったことがないのに、どうしてバイセクシャルだとわかるの?
私が自身のセクシュアリティをたしかめるにいたった経緯をここに書き連ねてゆくのはたやすいことですが、そういったことをせずに納得のゆく説明を提示すること(そしてこのような質問がだれに対しても不要となること)こそが当記事の目的でもあります。
つまり、こういうことです。交際経験のない人に対して「あなたには恋人がいないのに、『自分は異性に恋をするのだ』とどうしてわかるの?」とたずねる人があったら、ふしぎに思われませんか。
私がバイセクシャルであることは、多くのヘテロセクシャルがそうであるに違いないように、現在の私自身にとって「ごく自然であり、疑いの余地はなく、はじめからこうであった」としか言いようのないことなのです。
当人の内面にゆらぎや葛藤が生じるのは無理のないことですが、他人が「ほんと?」と疑いを投げかけるのはあまりに無粋です。「ファッションレズ」なんてことばも聞かれますが、もってのほか。ファッションのこともばかにしてるよねえ。
ところで、セクシャルマイノリティを嬉々として名乗る人や、自身はセクシャルマイノリティであると偽る人ってほんとうにいるんだろうか……。「ホモ」だの「あっち系」だの聞かされて、じぶんの話をされているわけではないとわかっても指先や唇がふるえ、頭はあついのか冷たいのかわからなくなり、事実を話してみればあいまいな笑みをもって受け止められ……こんな場面にいちどでも遭遇すれば、名乗るのがいやにもなるよ。名乗りつづけるけれど。
セクシュアリティを公言してなにがしたいの? 非当事者に、どうしてほしいの?
どうもこうも、なんもねえよ! 金くれとかちやほやしろとか、頼んだことねえよ!
平たくいえば、<異性愛者にならできること>を、まったく同じようにしたいです。法律婚はその典型例だよね。異性と交際している私自身には縁のないことですが、同性婚はぜったいにぜったいに実現してほしい。
愛しあい、ともに暮らすふたり(日本ではふたりと決まっているのよね)に論理性のかけらもない説明でもって「家族の形として認めましぇん、生活の保障もしましぇん」を突きつける現在のふざけた婚姻制度にみずからを投げ入れたくないので、夫婦別姓および同性婚が可能になるまで結婚をしない予定です。
余談ですが、これを言うとたまに「えっ? カレはそれでいいわけ? 親は? 優しいね〜!」ってなる。ウケる。親は関係ない。彼は勉強家で、頭がやわらかいので「だれかが困っちゃうシステムは、『いままで続いてきたから』とか関係なく変えるべきだよね。よりよくしようっていう単純な話じゃないのかな? 変えたくない人は、もっと便利にしたくないのかな?」といった立場です。まじハッピー。
そしてそして、より見えづらいマジョリティの特権は〈いっさいの説明を要求されないこと〉であると私は日々感じています。いいかえれば、そこにいるだけで、いることに気づいてもらえるのよね。
裏を返せば、マイノリティはそうではない。透明化されている。外国籍の人、心身にハンディキャップのある人、シングルマザー・シングルファザー(これもさ、シングルペアレントじゃだめなのかな)などなど、同じ苦しみを抱えていそうな人は枚挙にいとまがないほどです。
セクシュアリティ以外の面から私をとらえたら、あらゆる評価方法において、たちまち圧倒的マジョリティ、あるいは(むろんこれは虚像なのだが)マスメディアの描く「ふつうの人」となるでしょう。日本に住む日本人で、両親は健在で、右利きで、妊娠・中絶経験のない20代で……。だから、私はこれを私に宛てて書いてもいます。
「ヘテロセクシャルであることを公言せずとも、ヘテロセクシャルであることを認められる」のはヘテロセクシャルのもつ特権です。私はそれがほしくてたまらない。身のまわりをそうしたくて、その意志をもつ人とともにありたくて、ものを書いています。
ほんとうにしたいのは、「吾輩はバイである」と高らかに叫ぶことではありません。声を上げずとも、ここにいることを知ってもらえるようになるために、まずは声を上げてみることにしているのです。がんばってるね。
私は「バイなんだ」を「人間なんだ」と同じくらい、無意味な、自明の、ありふれたことばにしたいのです。世間は「バイ? きもちわるい」から「バイ? いいとおもう」まで前に進んだのだから、その先にだってきっとゆけるはずです。