ひらログ

ひららかのブログ

妹の新居

 ひとり暮らしは、いいよ。私を新居に招いた妹がくりかえす。いいなあ、と私のほうでもしきりに言うのだった。職場の近くに越して一週間足らず、人を泊めるのは私がはじめてだという。たしかに日用品やら雑貨やらの不足は目立つが、とりたてて困ることはない。すっかり慣れたようすの妹にもてなされ、くつろいで過ごした。布団が一組しかないので、私は床で寝るつもりだったが、妹は掛け布団を恵んでくれた。引っ越し祝いに、と渡したばかりのフェイスタオルの山から一枚ずつ取って、ふたりして頭にかぶって寝た。そのうちタオルケットを送ろうと思う。

 「もっと生活感がほしい」と妹はまっさらなフローリングに目をやりながらつぶやき、ひとまずテレビボードを買おう、などとつづけていたような気がする。生活感なるものは、好むと好まざるとにかかわらず、生活をいとなむうちに分泌されてゆくだろう。妹にいわせれば「なにもない」この部屋は、私の理想には近いけれど。実家にいたころ、私の部屋を見て妹はいつも「生活感がない」と驚いていた。

 人間の成体だけが息をしている空間に一晩も滞在するのはひさしぶりのことだった。猫のいない家は、こんなにもしずかなのか。いちど拭き掃除をしてやれば、フローリングは何日もすべすべのままだ。砂のざらつきも、細い毛の吹きだまりもない。シンクに洗剤の泡を残しても、輪ゴムやイヤリングをテーブルに置いても、食べられる心配はない。足や腹を踏まれて起こされることもない。それだけがひどくつまらなかった。猫がいないことを除いて、ひとり暮らしはすばらしい。妹も同意見だ。

六色の虹をまとって

 一社目の「優良企業」をぬけだす以前のほうが、周囲のだれもが「やめていい」とうなずく環境に身を置く現在よりずっと頻繁に、「やめたい」とさんざん書き散らしていた。その理由はふたつほどある。

 ひとつめは、「とりたてて瑕疵のないこの会社を早期に離れるのは私に適性がなかったからだ」と書くことに、棘をまきちらしているという不愉快な自覚はともなわないということ。それに対して、現状を明らかにするには、他人を悪しざまにいうほかなく、そんな作業にいそしむおのれはつまらないのでやや控えた。

 ふたつめは、思い出すというかたちによってさえも、できるかぎり会社に接していたくないのがいまであるということ。代表に言及するたび、私は苦痛を軽減するどころか、ていねいに反芻しているかのような気分に陥る。

 ならば「やめたい」ではなく、退職を決めたそのときに「やめる」と書けばよろしい、と企んで、実現したところで当記事が産まれた。今月末日を最終出勤日とする。

 私が吐き気をなんとかのみくだしながら出社していること、顔を合わせるたびに動悸がはじまるということなどには思いいたらない代表は、最後になるとはまだ知らない定期面談にて「一流をめざすためにひとつ。服装が子どもっぽい。あなたは自分の魅力をわかっていない」との助言をくれた。

 以前の私なら「無地のTシャツにスキニージーンズ、ナイキのスニーカーが、服装自由の職場で指摘を受けるほど子どもっぽいだろうか」と頭を抱えるところだが、いまならわかる。自他未分の幼児のごときあのかたは、ご自身のご趣味のみが絶対的な善であると信じておられるというだけのことだ。服装にけちをつけられたから退職するのでは決してないが、かえって笑い声をもらすほかないような絶望的なつうじあわなさというのは、このような弛緩したやりとりのなかでこそ、たしかめやすい。

 もう少しとどまるつもりらしい先輩は「タフじゃないとここではやっていけない」と教えてくれた。このかたと代表との差は、自身に備わっているのと同等のタフネスを他人にまで要求したりなどしないという点につきる。

 私はまったくもってタフでなく、タフであるのがよいことだとも、タフになりたいとも感じないから、ここで降りる。この職場にあっては、タフネスの定義に「ルッキズムや学歴主義、過剰な根性論や自己責任論にもとづく差別的な陰口を看過できること」がいやおうなく含まれるから。

 職場、教室、家庭──記憶をどこまでさかのぼっても、私にとって居心地のよい「場」というものに行き当たることはない。つまり(乏しい経験のみから判断したところ)組織とか集団とかいった制度そのものに、このからだはなじまない。

 けれど、この見立ては、個々人との関係に恵まれているという深い実感を否定するものではない。いままでずっとそうしてきたように、私は、朗らかで面倒見のよい先輩方を、来月にはすっかり忘れているだろう。それにしても、このかたがたに助けられているのはほんとうだ。

 六色の虹をまとって、電車にゆられている。プライドコレクションの、派手なサイドライン入りのスウェットパンツ。いまや、別れゆく人のご機嫌とりに意味はなくなった。子どもっぽくておおいにけっこうだ。私は私を祝福する正装でターミナルを闊歩する。

先輩の話

 デートの最中に、突如として吐き気を催したかと思えば、盛大にお腹を下した。ほどなくして回復し、最愛の宇宙人にいたわられたので、いつもどおり機嫌よく帰った。ひさしぶりのごちそうで、食べすぎちゃったな。そんなことばをこぼし、見送られた。週末の夜のことだ。

 翌朝、食べすぎが原因ではないらしいことに気づかされる。胃腸のはたらきがまったく改善していない。吐き気も腹痛もめずらしくないが、両方が何日もつづくとなると、感染症も疑われる。とはいえストレスによるものだろう、とか、どのみちこの体調では仕事にならない、とか、とりとめもなく考えながら、朝一番に内科を受診した。差し出された結果は、聞き慣れた「自律神経の乱れ」である。

 早退、週末、欠勤をはさみ、三日と半日ぶりに顔を出したオフィスで、私はあたたかく迎え入れられた。スタッフにも顧客にも、自身の取り組む仕事にも愛着を感じている。先輩ひとりと私だけになったとき、語気こそ弱々しいものの、からだのなかで堰を切ったように、私は話しはじめていた。自分でも認めたくないし、ましてや他の方に言いたくもないんですけれど、苦手意識をもってしまって、ぐあいが悪くなることもあって。代表に? そうです。

 「自分がいやがらせの標的にされているとかいうわけではなくても、他の人がつらくあたられているのを見聞きしたり、倫理観があまりにちがうことをいつも感じていたりするのが、苦しくなってしまって」と私はつづけた。先輩はいつもの軽快な、自信をにじませた明るい話しかたで、「わかるよ。私たちもそう思っているし、いままでもそれで何人やめたかわからないくらい。限界が来る前にやめるんだよ」と答えた。先輩は入社二年目にして、社内ではベテランの部類に属する。

 私は神経質で狭量だ。このことを意識しなかった日はない。ただただ合わないというだけで、「優良企業」を昨年ぬけだしたばかりだ。けれど、ここでも息がしづらいのは、そのせいだけではないらしい。先輩のことばが、自責といらだちのあいだに沈みかけた私をすくい上げてくれた。

 その先輩も「今年中にはいなくなるから」とへらへら笑っている。場を和ませようと、募る思いをかくして笑っているらしいことが読み取れる。この人をなくしたら私は折れてしまう、と直観が働いた。ひとりでも欠けたら、たちまち倒壊しそうな現場だから。

 単に、ゆくあてがないからここにいる。堪え性のなさにより逃げ出そうと、劣悪な環境に追いつめられようと、他人からみれば同じ早期離職者である。もはや一社目のようにはゆくまい。退職するなら、次なる収入源を確保してからだ。状況は試用期間からなにも変わらない。この仕事と同僚が好きだ。この仕事をやめるつもりでいる。

これから

 最愛の宇宙人から、内定の報告を受けた。納得と満足と安堵に包まれながら、私は彼を電話越しにねぎらった。自己アピールどころか自己紹介さえしたがらないような人だから、はじめのうちは面接をおそれていたようだが、彼の場合、誇大広告に走る必要はなかった。経歴と意欲を、一貫性をもたせつつ、ありのまま話しただけだ。

 ささやかな祝いの品を、これから郵便局に持って行く。彼のお母様にお手製のマスクをいただいたので、そのお礼も同封した。立体的な布マスクのつけごこちは快適で、無駄なくかわいらしい外観は市販品以上だ。彼のご家族は全員が彼いわく「趣味の人」なのである。ただし、その腕前は趣味の域を超えている。彼の就職先も「趣味」の音楽と関わりの深い企業だ。

 彼は、第一志望の、県外の企業で働くことになった、と母に言うと、「あとはあなたが近くに転職するだけだね」と返ってきた。(ここに「自身のキャリアを捨ててついてゆけ」という意図はなく、私がかねてより騒がしい首都圏を離れて在宅勤務することを望んでいるのをふまえた発言である。)

 お相手は立派な大企業に入られたのにとか、同棲前に結婚しろとか、うちではいっさい聞かれない。母は、私が健康で上天気でさえあれば手段は問わないらしかった。昨年も、子が無職になったことではなく、適応障害からぬけだせないことに、ひたすら気を揉んでいたのかもしれない。私のすこやかなることを願うなら、私のすこやかならざるときに狼狽したり憔悴したりするのをやめていただきたいものだが、母の観測しうる範囲にこの身を置くかぎり不可能だとすでにわかりきっている。

 私たちは、私が最初の会社をさっさとやめたので、ここ二年で計三回の就職活動を経験した。そのあいだに、というよりいつでも、意見に齟齬をきたすことはなかった。そもそも私たちは、互いの生活に意見したことがない。〈他人の人生に関して自身はずぶの素人である。また逆もしかり〉という恥じらいとも傲りともつかない感覚を、少なくとも私はもっているからだ。私には彼がわからない。私は彼を愛している。

 ゆえに、生活が一変することへの不安はない。恋人が入社半年あまりで無職になろうと動じなかった、そしてこの春みずからの望みを叶えてみせた彼だ。こんなにも怠惰なのに、なんとかやっている私だ。会えないあいだにも、未来図をでたらめに遊ばせて笑いこけている私たちだ。

勉強会

 二社目の就職先では週にいちど「勉強会」を催す。著名な経営者の自伝を輪読し、感想を語りあうというものである。なんの意義があるか。私にとっては、ここでの社会的通念とのチューニング、につきる。この土地の不文律を、肌にしみこませるための会だ。

 私はそこで、共感を覚えた細部に賛意を表す以外の発言をしないよう、注意を払っている。いな、かつては批判を述べもした。批判は異なる立場の否定を意味するものではないし、一定の結論を導く気もない。多様な声が集まればおもしろくなる、とただ思いついて、率直に述べた日があったのだ。

 その試みは挫折した──私はむずかる幼児よろしくなだめられた。「そういう読みかたもできるかもしれないけれど、いい話だと思う」「あと何年か生きれば変わるよ」といったぐあいに。私は失望し、これは読書ではないと判断した。賛意がほしかったからではない。議論がしたかったのだ。はじめから正解の示唆されている会話を、共感を示しあうだけの場を、勉強会とは呼ばない。

 怠惰で薄情な私が外に出れば、どういうわけかつねに、素朴で善良な、信仰のあつい人々に恵まれる。またもあたたかくしめっぽい土地に足を踏み入れたらしい。信仰それ自体はありふれた現象だが、布教にも熱心となると迷惑だ。

 もとより、転職活動に際して、ほんのひと飛びで最終到達点にありつける見込みの薄いことは承知していたし、いっさいのおもしろみを感じない仕事といえばこの「勉強会」のみ、すなわち一週間あたりわずか六〇分と大幅に短縮したのだから、転職はおおむね成功したといってさしつかえない。

 

2020.05.29 追記

 この「勉強会」を、退職者をも含めたすべての従業員が「中止にしてしかるべきだ」と考えている、と耳打ちされ、私の同僚に対する信頼は回復した。しかし依然として──ちょうど今朝も──熱心に教えを説く代表を取り囲んで、私たちは賛意を示しつづけることに貴重な六〇分を費やしている。

 従業員の敬虔な祈りが、不本意な演技であることは理解できた。とはいえ、その事実は私をじゅうぶんに慰撫しえない。窮屈な一定のふるまいをからだに染みこませ、ご機嫌とりに明け暮れる習慣から、解放されたわけではないのだから。