ひらログ

ひららかのブログ

ピアスをおくった日

 高校時代からつきあいのつづいている友人と、きのうは半年以上ぶりに会った。彼女のほうから新年のあいさつをくれたのがきっかけだ。それまで、彼女は私の体調を慮り、また私のほうでは彼女が慣れない仕事のために多忙をきわめていると思い、連絡を控えていた。そして互いに、その必要はなかったのだと胸を撫で下ろしている。インスタントメッセージが届いた瞬間、感謝の念があたたかく胸を満たした。一五歳から数えて、何度目のことだろう。意志の軌跡としてふたりの関係がある。誕生日にイヤリングをくれたので、私からはピアスをおくった。三ヶ月遅れのプレゼントだ。彼女は顔いっぱいに喜びを浮かべ、その場で身につけてみせた。とても似合っていた。私たちはふたりそろってセンスがよい。

 適応障害に苦しんだ初夏をも含め、私はいつだって彼女に会えたなら嬉しがったはずだが、私の文章にあらわれる暗澹たる態度はしかし、思慮深い彼女を遠ざけたらしい。無理もない。健康なときさえ、「会ってみると、書くものから予想していたより、ずっとやわらかくて話しやすい」とは言われ慣れている。私にかぎらず、だれもが「ほんの一面」の集積だ。それにしても恋人は、私を隣に置いて、よくめまいを起こさないものだ。一日のうちに、軽口を叩き、疑似科学の喧伝に憤り、戦争におびえ、空気を含んだ羽が生えたみたいに小躍りする。

サボテン

 自宅の近所に、いまどきの都市部にはめずらしく、古い平家が三軒隣りあっていた。今月の半ばごろから、取り壊しが着々と進んでいる。両端は長いこと空き家となっており、中央の、最後の住人は春に亡くなった。当時、私は前職の研修で県外に出ており、外泊の許される土曜日まで、私の家族はその事実を伏せていた。葬儀には間に合わなかった。朝早くに連絡を受け、観光にくりだす同期生にかろうじて笑いかけ、声をあげて泣ける場所を探して歩きまわったのを覚えている。

 その人を仮に只野さんとしよう。只野さん邸の庭は四季を通じて緑色をまとっていた。花より草が目立ち、どれも手入れが行き届いてた。盆栽の鉢は家族が持ち帰ったらしいが、大人の背丈ほどもあるサボテンだけは抜けなかったのだろう。おとずれるものは虫と野良猫だけになった土壌で、ますます太ってゆくようだった。紅色の花がひらいた日、私は祖母とともにはしゃいだ。

 それも今月の半ばごろまでの話だ。週末、デートから帰ると、サボテンの姿がない。かつての庭は取り外した浴槽や便器の仮置き場になったのだ。いずれこうなることも、そうするほかないこともわかっていた。とはいえ、穴の塞がらないようなこころもちは、どうしようもない。その夜は風呂を熱めに沸かした。

子供の領分

 春から会社員になり、そろそろ引越しも考えはじめました。新しい生活に慣れるまでピアノはお休みします。と、発表会にて司会が読み上げる挨拶文を書き出した。虚偽の申告をしてはいないが、情報がいちじるしく不足している。つまり、現在の私は会社員をしていない。おしゃべりな先生にはそのことを伝えなかった。

 二〇年前に私をレッスンに連れ出し、その後ももっとも熱心な聴き手でありつづけた心配性の祖母にも、無職になったと話すわけにはゆくまい。同居しながら経歴を隠し通していることには、われながら感心する。さっさと白状すれば、白昼堂々、階下に押しかけて練習もできたのだけれど。祖母は今年も花束を渡しに来てくれるという。

 年の瀬、最後になるかもしれない舞台で弾くのは、いちばん好きなドビュッシーにしようと決めていた。小学生のころ楽譜を買い与えてもらった『子供の領分』から数曲。作者が溺愛する娘におくった小曲集だ。当時は、がむしゃらに鍵盤を叩くと、聴衆がほほえんだ。いまは違う。子供の領分に大人が踏み込むには、それなりの作法というものがある。速く、しかしあまり速くなく。タッチをやわらかく、芯はつよく。おどけて軽妙に、指先に神経を集中させて。あらゆる矛盾を抱擁した音楽に、私は幼い日から惚れこんだままである。

退職

 今月某日をもって退職する。この期日については、経歴に休職期間が含まれないよう人事部が取り計らってくれた。私の体調を気遣うことばを最後に、通話は終了した。ほんとうによい会社だと思う。

 郵送する退職願は書き上がったが、添え状を作成する気は起こらない。非常識にも突如として去りゆくものが、常識的書式にならってシュレッダーの作業を増やしたところで、なんになろう。他人の心情の機微を読みとれない私が社会的地位の相対的に高い人々からかわいがられたのは、ひとつには、少なくとも形式に対しては従順であったからだ。しかし、いまとなっては、どれほどうやうやしい挨拶も、行為と矛盾する。恥ずかしさで息がつまりそうなほどしらじらしくて、謝罪と礼を述べる手紙など同封できそうもない。

 入社後半年あまりで組織をぬけだす私がもたらしたものは、莫大な教育コスト、煩雑な事務手続き、期待と同量の失望、といったところだろう。さりとて、利己的な性分ゆえ、刑期満了前に出獄の日を迎えた感慨で胸を満たすばかりである。これまでに、仕事を楽しむことはおろか、仕事をこなして余力を残すことさえなかった。会社員としての、規則正しい反復からなる生活は、永劫のシャトルランに似ていた。はやばやと打ち切る。

アルバムリリースによせて

 最愛の宇宙人、ウール・プールによるはじめてのアルバムが、きょうリリースされた。聴けば、彼の曲だということも、彼がなにによろめき、ひかれるのかも、私には手に取るようにわかる。そういう純度の高い楽曲で編まれているのだ。つくるのが好きでしかたなくて、曲をつくらずにはいられない人だから。

 音楽やことばに救われた経験はあるが、他人を救ってやるというつもりで発せられた音声や文字というものを私は信頼しない。私はかつて彼に抱き起こされたおかげで、いまもかろうじて直立しているという気がしなくもないが、彼には私の歩行を支援した記憶などないのだろう。彼の作品も同じように、ふらふらとひとり歩きして、どこかでだれかを上機嫌にしたり嫉妬させたり、まどろみへ導いたりするのではないか。

 話はよりあからさまにアルバムから逸れる。彼を知るまで、私はおどけたまねをしないほうだった。思いを確かめあったばかりのころも、まだこわばっていたはずだ。だから、しばらくは、ウインクや、髪をかきあげて恰好つけるしぐさなんて、とうていできなかった。人前で口を大きく開けて笑うことさえまれだった。私は私のことが気に入らなかったから、私を他人たちにひらいてみせることも避けていたのだ。

 彼は、私自身には過剰なものとしか見えず、うとまれていた私の特質を、みな好きだと言った。かすれた低い声、八重歯、外斜視、たくましい骨格と贅肉、それに、ことばへの感じやすさや、考え込み、思いつめるところまで。あるとき、私が私でよかった、とも言った。その瞬間はいっしんに祝福を浴びたようだった。あなたがあなたでよかった、と私は思う。

 つまり、光の当たらない場所に、うつくしいところを見出すのがじょうずな彼なのである。ある日曜日、私たちは、楽器店にて聴音の問題を出しあった。彼の出題する和音──新曲に使ったとかいう音の排列は、奇想天外で、ぶつかって濁り、けれど、どこか洒脱でおおらかだ。

 私は耳をすますが、何度くりかえしても、全体像がつかめない。そこで、しぶしぶ解答の開示を求め、手もとをのぞきこむ。あらためて驚く。そんなのわかりっこない、とほとんど笑い転げそうになる。よく見知った六一鍵とか八八鍵とは別の楽器が踊りだしたかのような、それでいてなつかしい響きを、彼の指は紡ぎだす。

 ウール・プールのムーン。とびきりかわいくふしぎな音楽家による、とびきりかわいくふしぎな曲集が産まれた。